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甲子園大会・・・慶応義塾高校が遺したものは

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甲子園大会・・・慶応義塾高校が遺したものは

105回甲子園大会は慶應義塾高校が107年ぶりに優勝し幕を閉じた。この大会は慶應のための甲子園大会だったと言えるだろう。森林監督が発信する「新しい高校野球の方向性」「爽やかなヒーローの誕生」それに加え、春の選抜大会の初戦で戦った仙台育英高校との決勝戦での再戦など、神様が作ったシナリオのようだった。優勝した慶應は県大会での勢いをさらに加速させたような戦いぶりだった。準決勝での土浦日大戦ではスクイズを3回も失敗しながらも相手に流れを渡さず勝ち切る強さを示した。通常、スクイズを3回も失敗したらIMG_5414.jpg相手に流れが傾く。自ら流れを手放すような展開だったが、投手がまるでゾーンに入ったかのような見事な投球で相手打線を封じていった。

 大会を通じて森林監督の「高校野球への問題提起」が話題になったが、彼の追求する「選手が自分で考え自分で取り組む野球」は前監督の上田監督・七條部長時代から取り組んできていることであって、今に始まったことではない。選手の長髪も話題になったが、慶応高校は昔から長髪。花巻東高校も土浦日大高校も髪型は自由。慶應だけが自由な髪型、というわけではない。

 25年ほど前に初めて森林さんにお会いした時、彼はまだ会社員。「これから大学院を受けようと思っています。どこがいいでしょうか」という話をした。会社ではエリートコースを歩んでいた男が高校野球の世界へ足を踏み入れようとしていた時だった。当時は自分も社会人として大学院に通っており、コーチングを専攻していた関係で彼とは研究論文についても相談していた。その後、森林さんはコーチとして慶應高校に関わり上田監督の薫陶を受けながら選手へ熱心な指導を続けた。個性的な上田監督の後を継ぐのは大変だったに違いない。しかしながら、持ち前の情熱と知性で見事なチームを作り上げた。

 今回の慶應義塾高校の優勝は、高校野球のあり方・指導の方向性に大きな問題提起になったはずだ。「自由な髪型」が論点ではなく、「アマチュアスポーツのあり方」を彼は問うているのだ。「自分で考える。自分の言葉を持つ」そんなスポーツマンを育て社会で活躍してもらいたい、という願い。そこには今大きな問題である「体罰」や「暴力」は存在しない。指導者も「語るべき言葉と理念を持て」と彼は言いたいのだ。高校野球でそのような「言葉と理念」を持つ指導者といえば仙台育英の須江監督であろう。その2チームが決勝を戦ったことに今大会の大きな意味がある。若い指導者にはこれからのあるべき高校野球に向けて、メッセージを発信し続けてほしい。

 慶應義塾高校と仙台育英高校が最後の試合を戦ったのは、野球の神様からのメッセージだったのだろう。

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