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株式会社インフラコモンズ代表取締役の今泉大輔が、現在進行形で取り組んでいるコンシューマ向けITサービス、バイオマス燃料取引の他、これまで関わってきたデータ経営、海外起業、イノベーション、再エネなどの話題について書いて行きます。

「消費者が企業に対して価値ある情報を売る経済」は特許になりますかね?

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 昔、カードビジネスの専門誌をやっていた関係で、消費者から情報をいただく手法についてはそこそこ勉強させていただきました。当時データベースマーケティングと言っていたものです。97年頃からはOne-to-Oneマーケティングと呼ぶようになりましたね。

 こうした既存の顧客情報収集方策の大きな特徴は、①いわゆる静態情報(氏名、年齢、職業、住所など顧客プロファイルが主)は入会時にいただくだけで、その後、アップデートされる機会があまりない(正確なアップデートを促す戦術的な仕組みがない)、②入会後にいただく動態情報は、購買に関連して生じる情報のみ(購買日時、購買金額、購買品目、購買店舗など)で、それをはずれた情報を把捉する術を持たない、ということです。
 インターネットを販売チャネルとした顧客情報収集では、もう少し取れる情報の幅が広がりますが、本質的に異なっているとは言えないレベルにあります。

 それからもう1つ。これは誰も指摘しませんが、これらは常にリアクティブな情報収集に終始しており、情報が得られるのは決まって顧客が購買を行った後だということがあります。情報収集が顧客の購買行動に依存しているとも言えます。非常に制約のある情報収集手法であり、得られる情報内容もかなり限定的です。
 こうした情報を基に行われるマーケティング方策は、なんというか、いつも後追いの雰囲気を漂わせています。データマイニングで、紙おむつを買う顧客は缶ビールも一緒に買う傾向が強いと判明してみても、本当にそこから生き生きとした企業価値を作ることができるのか?という気がします。
 消費者の過去の購買行動に基づく情報をどれだけ蓄積して精緻に分析してみても、そこにあるのは詰まるところ過去。現在の彼/彼女は収入が大きく変化して足しげく通う店舗を変えたかも知れないし、読む雑誌が変わったので選ぶブランドも変わったということがあるかも知れません。
 日夜テレビなどの従来メディアとインターネットから浴びるように情報を得ているなかで、彼/彼女には日々何らかの変化が起こっているはず。ネットが当たり前に使われる現在では、「学習」が常態化しているとも言えます。
 そうした変化の先で起こる購買行動に関して、過去の購買履歴等から得られた仮説がうまくフィットするものでしょうか?その点を、素朴に疑問に思います。
 利用履歴等を収集・蓄積してそこから傾向を読み取り、何らかのマーケティング方策に生かして有効なのは、せいぜい携帯電話会社などが行ういわゆるチャーン(他社乗り換え)抑止策ぐらいではないでしょうか?多くの場合は、購買履歴に基づくクロスセル、アップセルが、死んだ魚をもてあそぶ行為のように思えてなりません。(マーケティングリサーチがあるではないか!という意見については後日お答えします)

 「消費者から欲しい情報を買っちゃえばいいじゃん」と常々思ってきました。
 
 
 仮に「私は私に関する情報を、プライバシー侵害につながるものは例外として、何でも売ることに同意します。何でも聞いてください。その代わり1ヶ月のギャラは5万円です」と決意した男性がいるとします。
 また「ワタシは、ワタシが買う雑誌と、アパレルや雑貨を買ったお店と、昼ごはんを食べたお店とお茶したお店と、1ヶ月の携帯電話代金と見たテレビ番組の全部を教えま~す。ギャランティは3万5,000円でOKよ」と同意した女性がいるとします。

 収集する情報内容は置いておくとして、仮にこういうことに応じてくれる消費者がいると仮定すると、マーケターの方はノドから手が出ませんか?商品開発に携わる方は、ぐっときませんか?
 このように「自分の情報を売る」と決意した消費者からは、死んだ購買履歴などではなくて、生な現在に関わる情報や彼/彼女の考え、変化しつつある嗜好や、今後の支出につながる思いなどを得ることができます。
 個人情報保護法がなかなか厳しいですから、個人を特定しうる情報はいただかないか、分別管理するような枠組みを作って、法を犯す面倒を避けるようにしなければならないのは言うまでもありません。やり方はいくらでもあるでしょう。

 
 消費者が求めに応じて情報を売ってくれる。これが当たり前になる経済を考えてみると、いろいろと興味深いです。
 まず、すべての情報に均一な価格がつくなどということは、この市場メカニズムの下ではあり得ないので、値が高い情報と、タダでも引き取り手のない情報とが出てきます。
 値が高い情報とは何か?企業の価値向上に強く貢献する情報です。その情報が得られたことで確実に売上が増加するものは、相応の高値が付きます。
 複数の企業が着目する情報の売り手であり、その情報にかなりの希少価値がある場合は、オークションなどで値を吊り上げることもできるでしょう。まぁ需給で価格は変化します。
 
 企業にとって価値の高い情報を恒常的に出せる人も登場するでしょう。何らかの情報を企業に販売することがお小遣い稼ぎという人もいれば、収入源の多角化の一環という人も出てくると思います。
 このような「消費者が企業に対して価値ある情報を売る経済」というのを想定すると、昨日記した情報の非対称性のもんだいも氷解するように思います。
 
 例えば、現在、高付加価値商品の多くは、ハードウェア内でソフトウェアを動作させており、そのソフトウェアの中身も熾烈な競争があるために、ものすごく複雑なものになっています。携帯は言うに及ばず、デジカメ、DVDレコーダー、液晶やプラズマなどの大画面テレビなど。クルマもそうですね。携帯プレイヤー、一部の白物家電なんかもそうです。
 こうしたソフトウェアによる高付加価値商品では、多くの場合、バグがつぶしきれずに市場に出てしまいます。
 そのバグを多数の消費者の中の誰かが偶然に発見し、ブログや価格コムの掲示板などで書く。多くの場合はクレームとして書く。企業としては好ましくないですね。
 消費者がこうした行動に出るのは、他に行き場がないからだと考えます。
 企業のお客様相談室に電話でクレームを言ったとしても、どう対応してくれるかわからないし、場合によっては腹立たしい思いをしただけで、菓子折りひとつぐらいで済ませられるかも知れない。それよかだったら、ふだん書いているブログでもって、ネタのひとつとしておもしろく書いてやろう。インターネットをアウトプットの手段として持っている消費者は、普通はこう考えるのではないでしょうか?
 無論、その企業のシンパはいます。好意的な情報を書いてくれて、勝手にエバンジェリストになってくれている消費者もある程度はいます。けれども、そうではない消費者による情報の非対称性のもんだいは依然として残ります。
 そうした人たちによる、なんというかmobのような力が、「消費者が企業に情報を売る経済」を想定することによって、水路づけられるように思うのです。

 それは単にカネを払うから解決するというレベルではなく、自分が、企業の製品開発に建設的な立場で参加しているという満足感や誇りが得られる「場」ができるということだと思います。

 バグ情報をクレームと位置づけ、不平不満を押さえ込むスタンスで買い上げるのではなく、むしろ積極的にβ版の状態で市場に投入して、消費者と一緒に商品の完成度を高めていくという、まさにオープンソース的な手法による商品開発アプローチなども可能になると考えています。
 消費者が持つナレッジを積極的に経営資源と見なし、それの活用を本腰を入れて考えていくわけです。現在は失われつつある価格決定権についても、これまでとは違った形で行使できるようになるでしょう。
 「消費者が企業に対して価値ある情報を売る経済」は、そうした大きなポテンシャルを持っています。
 本ブログで新規事業、新規事業と書いているのは、そうした発想を何か形にできないかということです。

 今日は特例でまぁ3時間ちょい。

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 ultravioletさん、トラックバックありがとうございます。興味深く拝見しました。現在ネット上で起こってる現象のどの部分に着目するかで、「情報の非対称性が歪んだ形に移行しただけ」という表現がふさわしいのか、「情報の非対称性を消費者の側が駆使できるようになっている」というような表現がいいのかが決まってくると思います。
 個人的な経験で、オーディオ製品、特殊な要求を満たすパソコン(例えば静音志向)、ハイビジョンの録画が可能なビデオデッキといった、通常一般のカタログ情報だけでは商品が選びきれないようなジャンルのものを購入する際に、Googleを駆使しつつ、得られるだけの情報をすべて集めてみると、ものすごい情報を持った方がたくさんいらっしゃって頭が下がるばかり、ということが何度もありました。
 情報を流すなかにはプロの方も混じっていたりするので、当該商品ジャンルの情報のインプットとアウトプットを行っているゆるいコミュニティのナレッジは相当なレベルに達しています。彼らは集合体として、多数のメーカーの多数の機器の使用体験を共有しているため、個別のメーカーで製品開発に携わっている人たちよりも場合によっては情報巧者だったりします。
 好意的に情報を流す人はそれでよいのですが、そうした情報巧者であることをある種の権利のように振り回す人がいることも確かです。
 全体としては新製品についての学習が非常に迅速に行われ、よい点と悪い点が共有されます。新製品に固有の神秘的な魅力がすぐに飛んでしまって、価格コムなどの価格情報も勘案した上で「これだけダメな点がある製品だから、自分は○○万円に値が下がるまで待とう」なんて具合になってしまいます。価格決定権がどちらかと言えば消費者の方にあるような状況です。そんなところなのですが。

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