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コミュニケーションにおける共有知識モデルについて、デザインの観点から考えていきます

忘れることは考えることのひとつ

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「覚える」ことは、わたしの得意技のひとつでした。しかし、いつからか「忘れる」ことが、これを上回ってきましたね。「覚える」ことに熱中したのは、「忘れる」ことが怖かったから。「忘れたら、もう思い出せないし、考えることさえもできない」、それは当然のことのように思っていました。

鷲田教授は、その著書*1の中で「忘れることは考えることのひとつである」と書いています。「忘れる」ということは大切なンですね。しかし、きちんと「忘れる」ためには、すぐさま「思い出せる」、ということを解決しておく必要があるのではないでしょうか。

わたしの場合、無意識に「図解」という形でイメージ化することで、「思い出す」ということを実践してしてきたようです。そこで、もう一度「考える」ということをよく考えてみました。それがこの図です。図に表すと、自分の想いがよく伝わるように思います。

このサイクルを、「知識創造」(野中郁次郎/竹内弘高)の概念に照らし合わせてもみました。「忘れる」というのは「内面化」する、ということに通じるように思います。そして、思い出す(共同化)」、さらに「みつける(表出化)」、「わかる(連結化)」がよくマッチするようです。

次回からは、このひとつひとつについて考えていきたいと思います。

*1: 「自分で考える技術」鷲田小彌太(札幌大学)

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