記録するジャーナリズムから、測って確かめるデータイズムへ

観相学を使った水田議員への人相攻撃に見るスピン合戦の時代

»

LGBTの「生産性」という手記が物議を醸している水田議員、抗議活動も広がるとか記事が出る中で、もう、「人民の敵」扱いしても許されると朝日新聞/AERAは判断したのか?観相学の専門家なる人を持ち出して、水田議員の人相攻撃記事が掲載されていました。
https://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:pXvsyLVJWYoJ:https://dot.asahi.com/aera/2018072700077.html+&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp

aera-mizuta2.PNG

今は削除されているのですが、削除したことの説明は今の所 AERA.dot には掲載されていません。

「専門家」の言葉を借りたら、都合よい誘導をしていいのか?

記者個人の感想とか印象では記事にならないけど、自分の意図にあう専門家を見つけたら記事にできる。そんな構図が報道機関にはあるようで、少数派とか異端ではあっても専門家といえる肩書の人を見つけて両論併記とか、意図にあう見方を載せるという報道がここ10年ほどより目立っています。

今回の観相学の記事も、「観相学会代表」という形式的には専門家の意見として拾われ記事として公開されていました。

しかし、人相をあげつらうことは差別やいじめの一番よくある形です。個人攻撃の差別・いじめの記事を報道機関と世間からみなされている媒体がこういう記事を載せてはまずいと判断がつかなかったのは非常に残念です。

マスコミやネット言論が政治闘争に重きを置くスピンの時代への覚悟

スピン(Spin)はボールに回転をかけて曲げることで、この曲げることから、意図した方向に曲げて伝えようというパブリック・リレーションや報道、ネット言論などをスピンと呼ばれるようです。

マスコミはネットのフェイクニュースが問題だとよく報道します。一方、私には、スピンの度合いを強めるマスコミの報道姿勢と、それを増幅するソーシャルメディアの言論、その相乗作用こそ関心と自覚を持つべき時代精神だと考えます。

内閣批判の報道量が、内閣支持率を左右して政治を「曲げる」力があると自覚される中で、マスコミはスピンの度合いをますます強め、ときにこうした人相攻撃という矜持を忘れた報道がされています。

一方で、ソーシャルメディアも自分の意見に近い声が多く耳に入り、それが大勢の意見であり常識だと錯覚させられがちです。そんな今の私達の情報環境で、ネットでの書き込みや意見もスピンが強まり、『朝日ぎらい』など報道機関に対して好きか嫌いかの色分けが強まっています。

こういうスピンの時代だからこそ、自分の政治的志向、発言者の志向などは抑えつつ、人の政治志向とは分けて、言論や行動の中身自体に注目して是々非々で臨むそんな態度を自覚的に持ちたいそう思います。

Comment(0)

コメント

コメントを投稿する