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ともあれ「格差の拡大をもたらした新自由主義」という幻想は滅ぶべきである

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新自由主義が格差をもたらしたとか、グローバリズムが格差の元凶だとかいう亡霊が、UKのEU離脱、そしてUSでのトランプ大統領誕生という激動を生んでいるように見えます。

しかし、「格差の拡大をもたらした新自由主義」というのは事実に反する幻想です。

実際のところ、モノのデジタル化でメカトロの先進工業技術が無力化されて発展途上国に付加価値を生むポイントが移ったというのが変化の本質でしょう。それはグローバル化をもたらしたのですけど、グローバリズムとかいう主義があるわけじゃなくて付加価値を生む仕組みが変わったから富が途上国に移転したということです。

従来、例えばVTRデッキとか小型VTRレコーダーとかの1990年代後半を思い出してみましょう。この時代はまだ、高付加価値製品の生産は日本とかの研究開発の中心地で行われていました。ブラウン管のテレビでも製品の調整にはノウハウがひつようで、高級品の生産は研究開発をしている先進国たる日本で行われていたわけです。そのころ、付加価値を生む日本のメーカーが富を生み、サービス業とかも高い付加価値というか、売上や賃金を生んでいました。

それが、2000年代に入り、商品がデジタル化されて、デバイスが安く大量に作れる場所に付加価値が生まれる場所が移ります。日本は相対的に貧しくなり、デフレ社会と言われ続けます。400円だった吉野家の牛丼が280円に下がりました。

日本で格差が広がった2000年以降の日本と捉えられていますが、世界的に見ると格差は縮小しているという統計があちこちで出ています。途上国でも多くの人がスマホを持ち情報にアクセスできるようになった2016年の世界が、20世紀より格差が拡大しているなんていう紋切りで語られるのはおかしいと思います。

そうは言っても、あちこちで、グローバル化に上がらうような選挙結果が出てきたのが2016年の世界の特筆すべきニュースでしょう。ただ、政治が企業に介入して人気商品ん生産地を変えようとしてもそれで先進国の権益が戻り豊かな中産階級が復活するとは考えにくいのが現実です。デジタル化した21世紀の世界は、20世紀とは違うルールで動いているのですから。そんな現実認識に立って今歩の先進国のありかたを考えると、衣食住に困らない文化的暮らしをどう守るか?そして、働く意欲が満たされる社会をどうしたら維持できるか?このあたりが重要になってくる、そう思わされます。

ともあれ「格差の拡大をもたらした新自由主義」という幻想は滅ぶべきである

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