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黄砂、煙霧とPM2.5 - 3月10日 関東の煙霧は危険だったのか?

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この記事 "窪田順生の時事日想:「黄砂じゃなくて煙霧でした」報道の正しい読み方"はいい問題提起かもしれません。 3月10日午後、関東地方の空を覆った異様な茶色いカスミはそれほど異様で、実は注意報や、警報を発令すべき事態だったかもという気づきはいい着眼点だったと思います。

ただ、「黄砂」、「煙霧」、「PM 2.5」の定義や理解に混乱が見られるのが残念です。

http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1303/12/news025_4.html

Business Media 誠:窪田順生の時事日想:「黄砂じゃなくて煙霧でした」報道の正しい読み方 (4/4) viakwout

黄砂は、中国を中心とした東アジア内陸部の砂漠または乾燥地域の砂塵が、上空に巻き上げられ、春を中心に東アジアなどの広範囲に飛散し、地上に降り注ぐ気象現象およびその砂自体をさします。

一方、煙霧は、目に見えないほど小さい乾いた固体の微粒子(エアロゾル粒子)が空気中に浮いていて、視程が妨げられている現象です。

つまり、「黄砂 ∈ 煙霧」 黄砂は、煙霧の一種で、部分集合の関係にある、わけです。気象庁は中国由来の黄砂ではないと判断し、情報を出しました。

一方PM 2.5は、粒子径2.5μm(2.5um)で50%の捕集効率を持つ分粒装置を透過する微粒子です。窪田氏は、以下のように黄砂と同じ有害な物質だったのではないかと懸念されています。

確かにあれは「煙霧」だったが、黄砂同様にPM2.5を大量に含んだ“汚れた砂けむり”ではなかったか――。

 もちろん、これはあくまで私の推測であって、「事実」でもなんでもないし、政府がこれを隠蔽しているだとか主張するつもりは毛頭ない。

実際のところ、非常に小さな粒子たる、PM2.5は肺の奥などに入り、人体に有害な影響を与える可能性が懸念されています。ただ、その有害性は、微粒子の質にも関係があるはずで、少なくとも「汚れた」という懸念はちょっと粒子の大きさと質の混乱がありそうに思います。

PM2.5への危険性の指摘は  国立環境研究所ニュース > 20巻 > 5号 (2001年12月発行)  > SPM,PM2.5,PM10,…,さまざまな粒子状物質 SPM,PM2.5,PM10,…,さまざまな粒子状物質 新田 裕史

微小粒子の大部分は化石燃料が燃焼して生じた粒子やガス状の大気汚染物質が大気中で粒子に転換した二次粒子などの人工発生源由来のものであり,これらの粒子は自然由来の粒子よりも毒性が強いと考えられている成分を多く含んでいる。

とあるように、北京などで問題の大気汚染の結果生じた、PM2.5の問題としてよく、語られています。実際、北京のように日常的にPM2.5濃度が非常に高い都市では、タバコの副流煙並みのかなり強烈な健康への害が指摘されています。

一方、数時間限りで起きた東京周辺での煙霧がどれほどの健康への影響があるものなのか? 成分的には、ほとんど砂ほこりと思われ、有害物質の降下という報道はされていません。微小粒子が多くてPM2.5 の指標が上がったとしても、それが「汚れた砂けむり」だという推理は少し飛躍しすぎていると思います。

「正しい報道の読み方」という題での問題提起に乗り、よりよい理解と議論が深まることを期待しています。

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