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新しいiPad という「代わり映えしない」新製品の意味と価値

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結構世間からは、評価が辛い新しいiPad 尊敬する、イノベーター永江さんも、新しいiPad拍子抜けで大丈夫か? Appleの終わりの始まりじゃないかと心配されています。

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Appleの終わりの始まり? 新しいiPad | More Access,More Fun! via kwout

結構世間からは、評価が辛い新しいiPad 尊敬する、イノベーター永江さんも、新しいiPad拍子抜けで大丈夫か? Appleの終わりの始まりじゃないかと心配されています。

CPUを上げて画像を綺麗にするかわりにでかくして重くするなら、中国のパチもんメーカーだって作りますよ。さらに言うと、CPUをバージョンアップして画像綺麗にする程度なら、発表会もいらないです。

この憤りは愛するからこそだと分かるんですが、Windows魂な私からすると、「実際に手にとって使って見ないと分からない」と思います。同じ画面サイズで解像度が2倍というか、画素で4倍というのは飛躍的変化です。「目に見えて革新的」というAppleキャッチコピーは確かにダメで、「百聞は一見に如かず、新しいiPadの良さはこのWebサイトでは伝わりません。実際に手に取って操作して体験ください。」ぐらいが本当のところじゃないかと思っています。

そして、この解像度は従来型のコンテンツと高い互換性を保っています。縦横比各2倍という扱いやすい拡張だからです。その一方で、密度が2倍という細密なディスプレイはきっとデジタル画面の概念を一新する可能性があると期待します。

雑誌の見開きを緻密に表現できて、マンガのルビが読めるとか、具体的なメリットがきっとあると想像しています。

ただ、Appleストアもあるとは言え、Web作っているのはオンライン売上というノルマを背負ったチームなのでそうもいかない というジレンマはあるでしょうが。

また、そもそも、iPad自体が破壊的(不連続的)イノベーションをもたらしたばかりで、成し遂げる途上の製品です。そして、iPadをめぐるエコシステム(アプリやWebサイト、サービスなどとの総合的付加価値)を育成する途上にあります。そういう発展途上にある製品は「ガラッと変わる」べきではないのです。初代も、iPad 2もそしてこの新しいiPadとで共同でエコシステムを作るには「代わり映えしないもの」であることが不可欠なのです。

ともかく、この代わり映えのしない、かと言って新しい世界を徐々に広げるAppleはすごいのじゃないか、今後もこの革命は続くのではないか、そう期待させられています。

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