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雑誌クロワッサンの「放射線で傷ついた遺伝子、子孫に伝わる」問題の本質

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マガジンハウス社発行の雑誌クロワッサンの、放射線と遺伝子に関する表紙問題。「表紙タイトルに被ばくされた方々及びその関係者の方々に対して不適切で配慮を欠いた表現」があったという謝罪が編集長名で掲載されるに至りました。、

http://magazineworld.jp/croissant/808/read/http://magazineworld.jp/croissant/info/

マガジンワールド | クロワッサン - CROISSANT | お詫び via kwout  マガジンワールド | クロワッサン - CROISSANT | 808 | 立読み via kwout

確かに配慮を欠いて不適切というのは同意します。しかし、本質的な問題は違うところにあると思います。編集部に科学的知見が十分に無いことであり、他の専門家から否定的な意見も聞いたのにその矛盾をどうも理解出来ていないことです。

現役の研究者より、科学エッセイストの主張を根幹に据えたクロワッサン編集部
表紙で名前の出た、柳澤桂子氏は、三菱化成生命科学研究所副主任研究員を1971年から1983年まで勤められた方で、退職されてからは、生命やDNAをテーマにした啓蒙書やエッセーを中心に活動されている方です。クロワッサンという雑誌や読者層とは相性がいい方なんでしょうが、ここ30年弱の間の遺伝・DNA研究の進歩は目覚しいわけで、せめて現役の研究者の意見も聞いて併記すべきだったのではないかと思います。

柳澤桂子氏は、

「放射線に関して"安全だ"という言い方は改めていただきたい。放射線と人間とは相容れないものなのです。」

と主張され

「放射線によって傷ついたDNAは、子孫に伝えられていきます。何万年か後に、突然変異のおそれが。」

という中の見出しにつながります。こういった柳沢氏の主張が

放射線に安全値はないという。これからの「いのちと暮らし」は、どうなるのか。

という特集の見出しに繋がっています。

遺伝・DNAについて分からない事はまだまだ多いから、そういう可能性を指摘する説があっても分からなくはありませんが、現役の研究者の見解は違うようです。独立行政法人 放射線医学総合研究所 安田徳一名誉所員は2009年の著書「放射線の遺伝影響」で

放射線によって突然変異が生殖細胞に生じるとすると,子どもや未来の人類への影響が懸念されますが(遺伝性影響),現在のところ,それを示す確実な証拠は見つかっていません.

と紹介されています。また、原子力事典ATOMICA の「原爆放射線による人体への影響 (09-02-03-10)」では以下の通りです。

2.2.2 遺伝的影響
 原爆被爆者の子供に対する遺伝的影響を調べるため、1940年後半から胎児の流早産や死産、胎児・新生児における奇形の発生が調べられたが、統計的に有意な影響は検出されなかった。また、遺伝生化学的手法で血中の変異タンパクをマーカーとして突然変異の出現率を調べたが、影響は検出されなかった。さらに、DNAまたはRNA中の突然変異を直接検出する調査が1985年から行われているが、これまでのところ遺伝的影響があることを示す結果は得られていない。また、原爆被爆者の子供のがん死亡率、がん罹患率、がん以外の疾患による死亡率ともにリスクの上昇は認められていない(表4)。

広島・長崎での原爆投下という非常に不幸なできごとがあり、そこで被曝の影響が子孫に遺伝するのかは大いに心配された問題でした。
生命科学でいろいろなケースがあり、可能性はいろいろありえるのでしょうけど、一番知りたいことであり、気にすべきこと。今放射線をそれなりの量あびているとして、子供を産むべきか避けるべきか?結婚相手として被曝者を選んでいいのか?とかいう切実な問いに対して、今の定説ではそれを科学的根拠が無いと否定しています。

一方、柳澤説は、DNAの損傷は引き継がれるため遠い将来の突然変異が起きると想定されています。この仮説を全面的に採用すして、広めることの問題の重さを 雑誌クロワッサンは理解していないと思われます。詫びるべきは、「不適切な表現」ではなく、この説を採用することで起きる社会的影響を全く配慮していなかったこと、そしてそれは現在の主流ではないと伝えていないことでしょう。

こういう重い課題に対してクロワッサンはさらりと、紙面をめくった次のページに、矛盾する記述を記載しています。慶応大学医学部放射線科講師、近藤誠氏の説明に基づく見出しはこうです。

被曝は子孫に遺伝する?
遺伝子変異の可能性はごくわずか。

発がん全般についても不正確

ただ、問題はこれだけではありません。先の近藤誠氏の記事だけどもいくつか問題があります。

100mSV以下は本当に安全?
50mSv以下でも発がんします。

という小見出しは、しきい値なし仮説の、50mSvとかでも比例してリスクがあるという近藤氏の意見とは相違する、間違った見出しです。一方、喫煙については非常に甘い見出しをつけています。

がんになりやすいタイプは?
喫煙者はがん化の危険も大きい。

とだけありますが、国立がん研究センター 「わかりやすい放射線とがんのリスク」(PDF)で、喫煙は1000mSvを超える発がんリスクと指摘しています。 
Cancerradiation_2発がんリスクの上昇度を統計的には検出出来ていない、100mSv未満の放射線被曝を危険と断定しているのと比べて、この紙面の作りは大いに疑問が残ります。

飲酒、喫煙、肥満、高塩分食、運動不足、やせ、野菜不足、受動喫煙などなど多様な因子は自己でどうにか変えられるものに対して、東電福島第一に起因する放射線は避けがたいという性質が違うものではありますが、それでもなお、発がんのリスクを減らすための正確な情報発信はできていないと大いに反省すべきでしょう。

ビタミンCで発がん予防は俗説と退けていますが、だったらもっと重要なことを伝えるというか、編集部が知らないのに特集を出してしまったことを大いに反省し、訂正記事を出すべきでしょう。

※ 7/4 0:43に一部追記、修正しました。

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