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誤った「戦争放棄」信仰が招いた東電福島第一原発事故

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「戦争放棄」=「平和主義」は世界に誇れる日本の国是だと思います。軍事国家ではなく、平和国家として生きるという決意とコンセンサスは日本の戦後の発展をささえてきました。しかし、この「戦争放棄」には見過ごせない大きな弊害もあり、巡り巡って、東京電力福島第一原子力発電所の事故に繋がったそう私は考えます。

戦争への対策をタブー視した戦後日本の過ち:

というのも、戦争放棄という思想が、戦争のことを考えないことと誤解され、自衛隊や駐留米軍を望ましくない存在とし、戦争をしかけられたらどうなるか?という有事対応をタブー視する風潮を産んでしまったからです。戦争をしかけられる、核弾頭ミサイルで攻撃される、とかいう自体は「起き得る」現実であり、冷戦時代には幾度も世界的危機があって、世界では真剣な対策がとられてきたのですが、日本で有事法制整備はされず、大きく遅れました。阪神淡路大震災で自衛隊への活動要請が遅れたというのは痛恨のできごとでした。有事法制はアメリカ同時多発テロ事件を経てなんとか法制化されましたが、戦争状態とか最悪の事故への備えは大きく遅れました。

東電福島第一での事故の発生と深刻化もそういう重大事故対応をタブー視する風潮が招いたものだと考えます。というのも、核戦争がありえるという前提に立っていれば核攻撃とかに対する対処の指揮系統やら体制、そして核攻撃で深刻な自体を招く施設の対処とかもやらざるを得ないはずだからです。

今回の事故の直接的要因は地震と津波による電源喪失と施設破壊です。ただ問題はそういう事態を想定してこなかった、日本という国の甘さが問題の根幹だと考えます。確かに電源喪失とか起こさないことが重要ですが、起きてしまったらどうするか、そして水素爆発を防ぐために必要なことは何かなど、もっと真剣に災害に向き合っていればかなり被害は小さくできたことでしょう。

当初は、東電福島第一原子力発電所での事故は正直意外で、ショックでした。日本の強みは運用力、現場対応力であり、深刻化する前にどうにか抑えられると楽観視していたからです。海外からも、「日本でさえ事故がおきたのに、イタリアが管理できるはずが無い」とかいうイタリアが国民投票を成立させた時のジョークもそういう発想からでしょう。

しかし、実際は、戦後の日本という対策の甘い国だから起きた、必然的な事故だという自覚をもつべきです。

震災と津波、そして東電の事故による災害は非常に不幸なできごとですが、日本の甘さを悔い改め、最悪の事態をタブー視しない、しっかり備える国に変われるチャンスでもあると思います。災害なんて起きない方がいいのですが、起きてしまった以上、この事態を教訓により厳しい事態に備えた国に変わることが今求められていることでしょう。

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