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ココナラで自分を主役にした短篇小説を書いてもらった(全文公開)

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「あなたを主役にした短篇小説を書かせていただきます。」 なんとたった500円でそんな夢みたいな体験ができました。しかもたった1週間で。

それはまだオープンして数ヶ月して経っていないサービスですが、ココナラという、ワンコイン(500円)でみんなの「得意」を売り買いできるマーケットプレイスで見つけました。

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「一人ひとりが『自分のストーリー』を生きていく世の中をつくる」

という文章から始まるビジョン。

『お互いの生活をよくするために、生活に役立つものを交換し、感謝し合う・・・わたしたちは、そんな「商い」の原点を体験できる機会を提供します』

と、続いている通りの体験ができました。もともと面白いと思って注目していたものの、自分が主役の小説を書いてくれる人に出会えるなんで思ってもおらず、衝動買いでした。

過去の自分のブログを読み込んでくれ、1週間やりとりし、完成しました。

ということで、せっかくなので公開します。興味を持った方がいれば、ココナラで面白いサービスを探したり、自分で作ったり。または、「あなたを主役にした短篇小説を書かせていただきます。」 をどうぞ。

小商い、自分の得意を誰かにちょっとした金額で販売し、感謝される。そんな仕事を体験してみてはいかがでしょうか?

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小説「未来志向」

 中学生のころ、ぼくは陸上部だった。

 陸上部は、名前のとおり、走りつづける。大人になった今からみれば、レースに勝ったら賞金がでるわけでもないのに、身体がこわれるくらいまで自分を追い込んで、走る。

 大会に参加する他校のライバルたちは、みんな速かった。小学校のときから学年で足が一番はやい人間ばかりが集まるのが陸上部なのだから、当然といえば当然の話だ。
でもぼくは、小学校のときもそんなに速くなかった。

 はやくなりたかったのだ。

 小学校の運動会で一番盛り上がるのが、高学年のリレー大会だったのだけど、ぼくのチームが優勝したんだ。アンカーに、とても速い仲間がいて、彼が抜かされた僕のぶんまでごぼう抜きしたからチームは優勝したのだけど、そのときの興奮が、中学生になったぼくに陸上を選ばせた。

 けれど、中学ではやっぱり陸上のレースで一度も勝てなかった。だけどぼくはあんまり気にしなくなっていた。ぼくのチームには、小学校のリレーでぼくに優勝の味を教えてくれたアンカーの彼がいたんだ。彼はぼくの試合成績とは裏腹に、日本中の走る中学生たちと競争しては、勝って勝って、勝ちまくっていった。

 インターネットのウェブサイトには、当時の彼の全日本中学記録が載っている。その記録はすでに何人もの次代の中学生に破られてしまったけれど、いまでも、かつて日本一速かった中学生としての彼の名前がのこっている。

 ぼくは、ただの1試合にも勝てなかった。けれど、ぼくの中学のマークを背負った仲間が日本一になっていくその背中をみていたのもぼくだったから、それで満足だった。そして、記録もそうだけど、ぼくは走ることそのものを楽しんだ。

 朝の早い時間、まだみんなが登校するまえからぼくは学校にきて、走る。どんなに暑い真夏の一日も、朝は気持ちがよくて、強い光が、まるでスポットライトのように感じられて、その光がジリジリと背中にあたるんだ。身体中からふきだした汗は、最近かいてしまう汗とはちがって、少しもベタベタしていなかった。飲んだ水が、そのまま身体からさらさらと流れでてしまうように、気持ちよい汗をかいていると、中学生に特有な反抗的な気分というものも汗といっしょにながれていった気がした。

 高校で部活動を選ぶとき、記録としての陸上に興味がなくなっていたぼくは、今度こそ自分がヒーローになれるスポーツをはじめようと思った。ぼくが高校にあがるころに、ちょうど週刊漫画雑誌で「スラムダンク」というバスケットボールの漫画が連載されていて、アメリカのNBAには、マイケル・ジョーダンというバスケットの神様がいた。

 ぼくが入学した高校は、勉強も名門だったが、それ以上にスポーツ推薦で入学する学生が多いところだったから、運動部はどこも地域の“強豪”だった。陸上部はもとより、バスケットボール、卓球、サッカー、野球、水泳……どのクラブにも、“専門”の学生がたくさんいた。

 けれど、バスケットボールならぼくは、いける気がしたんだ。ぼくが「スラムダンク」という漫画に感動したのは、その主人公がバスケットボールを一度も経験したことがなかったり、昔は名プレーヤーだったのに、不良をやっていてずっとバスケットから離れていた生徒たちがもう一度バスケットボールを手にとるような、そんな「トライ」がテーマになっている漫画だった。

 だからぼくは、バスケットボール部では、本気で「ヒーロー」になろうと思って入部したんだ。結果からいうと、ぼくは公式戦に出場することがないまま、3年間を終えてしまったことを最初に話しておく。

 でも、中学の陸上部のときとは、またちがった3年間だ。ぼくは、陸上部を終えるころ、自分の記録に興味がなかった。ただ走ることそのものが楽しくなっていたし、仲間は日本で一番速い男だった。まさか、日本記録をつくるような男に嫉妬する気持ちもなかった。彼を応援するだけで誇らしい自分になっていた。

 高校のときはちがう。ぼくは最後まで、試合にでたかった。だから、正直にいうと、今でもときどき夢をみるんだ。ぼくは高校総体最後の笛がなるまで、自分をだしてください、と監督に訴えている。ストップウォッチがあと10秒をきっても、ぼくは自分をだしてくれさえすれば、きっと鮮やかなスリーポイントを、少なくとも3秒に1本決めて、9点とることができる! と考えていた。チームはちょうど8点差で負けたのだ。

 ぼくは3年間、シュートだけを練習していた。ボールがぼくにまわれば、どんな遠いところからでも、必ず狙ってきめてやる。そう思って、毎朝、体育館へむかったものだ。1年で出番はなくても、2年になれば。3年になれば。と毎日、いつでもすぐに出場できるように気合をいれていた。もしあの頃のぼくが、別の高校に転校していたら、きっとレギュラーだったと思う。公式戦での得点はないけど、いまでもぼくはゲームセンターにあるバスケットボールゲームでは、かなりの高得点をとる。ぼくがいたチームが強すぎたのだ。


 ぼくは、シェアハウス「ミライエ」祝20軒のパーティー会場で友人の息子である高校2年生の青年に話をしていた。この青年は、野球部のエースだった。「だった」というところに青年のストーリーがある。青年は、ドラフトで注目される東京の左腕だったのだ。彼を取材に、よくシェアハウスにスポーツ記者たちもやってきたものだった。

 その彼が先月、左手の手首にうけた強烈な打球のせいで複雑骨折してしまったというのだ。野球生命を絶たれた青年はまだ17歳。彼の目のまえには、秘密裏に数億円の契約金をちらつかせていた球団関係者もいたから、一家が眼の色をかえて青年の未来に家族の未来をみていたというのに、青年は、数億円プレイヤーから、一転して、ただの青年になったのだ。それでこの青年は先月以来、人の目もまともにみれなくなってしまったのだという。

 不思議なことに、ぼくが部屋にいくと、彼はぼくを受け入れてくれた。それでぼくらはポツポツと話をしてきたのだったが、今日のシェアハウス「ミライエ」祝20軒合同パーティーには参加してくれた。それで、ぼくはずっと自分の部活動の話をしていた。ぼくからしたら、目の前にいる元エースが歩んできた道は、いつもその背中に「栄光」そのものをみていた陸上日本記録の男だったり、高校時代のバスケット部のエース、スラムダンクでいえば絶対エース「流川楓」の役で生きてきた子供なのだ。

 でも、ぼくはおもう。今は連絡をとることがなくなったけれど、あの陸上日本記録の彼が、高校日本一になったという話を、ぼくは聞いたことがなかったし、インターネット上にも記録がない。誰だって、いつまでも一番でいるわけじゃない。そして、高校時代に公式戦最後の10秒まで信じていた自分の出番は、最後までまわってこなかった。けれど、ぼくは、その後、自分の業界のなかで「トップ」をとった。

「ぼくは、いまの仕事で日本一だ」とは、さすがに青年に自慢したりはしなかったし、ぼく自身、「トップ」ということの意味が、昔と今とではちがっている。「トップ」というのはなんだろう? それは、高校時代にバスケットをはじめたぼくが、漫画の登場人物のようにシュートを決めまくってヒーローになることだろうか? あるいは、中学陸上記録をつくることだろうか? それも「トップ」のかたちではあるけれど、ぼくが仕事をしてきて思う「トップ」というのは、なんというか、中学の陸上部で、試合には勝てなかったけど走るのが楽しかった、自分の母校を背負った仲間が日本一になるのを心から応援していた――あのころの早朝の運動場でぼくが感じていた感情が、いまのぼくが感じる「トップ」の定義にちかい。

 数億円プレーヤーが保証されていたはずの、元東京球児を代表する左腕のエースは、「俺から野球とったらなんもないって思ってたけど、俺、こうしてみんなとすむの好きだし、『ミライエ』の子供たちと遊んだりするの楽しいんだよな」

 と、からあげばかり食べながら、話していた。

 青年のもとに、たくさんのシェアハウス住人のこどもたちがやってきて、「アニキ、あっちで遊ぼうぜ」と誘っている。ぼくは青年に手をふって、大人たちが集っているテーブルや、20代半ばの起業家の卵たちから、「シェアハウスからシェアストアはどうか」というエッジがきいた質問を受けたりしているうちに、すっかり夜も更けたのだった。

 今回、20軒目にたてたシェアハウス「ミライエ」は、これまで19軒で得た収入をすべてつぎ込み、さらにローンを組んでたてた300人が住める大きな建物だった。パーティーは室内体育館で行い、料理などもすべて、住人が持ちあったので、大町内会のお祭りのようなにぎわいだった。

 ただ、昔の町内会とちがう、「ミライエ」独特の取り組みは、みんながスマートフォンをもっていて、「ミライエ」の住人だとわかれば、お互い、すぐさま笑顔になって、子供から大人までが写真を撮りあうことだ。

 ぼくが、元野球部エースの、心をとざした青年とこんなに気軽に腹をわって話せたのも、外見はたくましくていかつい青年と住人の子供たちが、昔の長屋の少年たちのように集っているのも、300人の新「ミライエ」の住人が、オープンしたばかりだというのにもかかわらず、他の19軒の住人たちと、いきなり仲良くなっているのも、写真を撮りあう仕組みが大きいと思っている。

 この仕組みは、ぼくが発明した。昔からずっと思っていたんだ。フェイスブックやツイッターがどんなに普及して、誰とでも気軽に繋がるようになったといえど、それは幽霊みたいに実体がないものだ、と。インターネット業界を開拓してきた立場にいるぼくだけど、いつも、どこかで虚しさを覚えたものだった。

 よく行く会社のちかくのカフェに、美人OLの顔見知りがいて、何年も毎日会っていたにも関わらず、ただの一言さえ、話せない。いくらインターネットで電脳の美女たちとメールのやりとりができて、そのメールがきっかけで実際に会うことができるといっても、結局、電脳の接点をもたない未知の美人とは、こうして毎日会っていても、一言も話せない――。

ぼくはこの経験と、自分がシェアハウスを運営するにあたって、深刻化することになった「無言」「対立する人間関係」を解決する必要があった。意外にもでてきた答えは簡単で、<笑顔の写真を撮れば、ポイントがついて家賃と交換できる>というものだった。

 ゲーム感覚と「少しだが家賃が安くなる」という建前があると、人は素直になる。最初は、その建前につられて写真を撮りあっていた住民だったが、そのうちにみんな笑顔でうつる自分自身が気持ちよくなったみたいだった。そして、今では、相手の笑顔がみたいから声をかけて写真を撮る。

「はい、チーズ」
「にっこり、にっこり、にっこり」
「ピース」

 それぞれ各人の掛け声があちこちで響きあうなか、ぼくは自分がこの「シェアハウス」の分野で「トップ」になったことを取材するためにきたライターが来ていて、しきりにライターはぼくを相手に「業界トップ」を連呼していた。けれど、くり返すけれども、ぼくにおける「トップ」の意味は、この「笑顔を普及させた仕組み」にある。

 取材をうけていると秘書がやってきて言った。
「例の件、オッケーのようです」

 ぼくはいま、見知らぬ街の人たち同士が、お互いを写真にとることが当り前で、そのことでそれぞれがトクな気分になって、笑顔が世界中にひろまるSNSを開発している。そして、ぼくは、この分野において、本家「顔本」を追い抜こうと、おもっている。

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