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昼行燈(ひるあんどん)のすすめ

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サッカーの本田圭佑選手が少年時代の夢を実現させ、イタリアのACミランに入団した。同じスポーツ界で少年の頃の夢をそのまま実現したスター選手としては、プロ野球のイチロー選手、プロゴルフの石川遼選手などが有名である。

このようなスポーツ界の「スター誕生」の軌跡を知った大人たちが、自らの子供たちに対して「夢を持て」「夢日記を書け」などと半強制的に「夢を持つ」ことを押し付ける風潮が見られるが、あまり感心しない。社会人向けの啓蒙本などでも同じような「押しつけ」が見られるのは残念である。

忠臣蔵の大石蔵之助や幕末の坂本龍馬は「昼行燈」と呼ばれていたそうだ。昼間に灯す明かりがぼんやりしているということから、「普段はぼーっとしている」人の事を指す言葉のようだが、これは何か偉業を成し遂げた人に対して、それまでの普段の生活が余りに平凡過ぎることに対して、敬意を込めて使うようである。彼らはおそらく少年時代には夢日記など書いてなかっただろう。それは、彼らがそれぞれの野望を具体的に心に宿したのが大人になってからだからだ。現代に戻って、プロスキーヤーの三浦雄一郎氏がエベレスト登山を決断したのは65歳だという。彼もまた少年時代あるいは青年~壮年時代にエベレスト登頂の夢は持っていなかったはずだ。

夢は無理やり持つのではなく、日常の社会生活の中で自然発生的に芽生えてくるものである。そして、いったんその夢が心の中で支配的になれば、人間は勝手に行動的になり、戦略やスケジュールを自ら具体的に立て、実践するようになる。そこからはあらゆる努力を惜しまず、苦労や困難を何とも思わなくなるのである。

さらに重要なことは、人がいつ夢を持つかは外部からコントロールできないのだ。本田選手やイチロー選手、石川選手などが少年時代に具体的に夢を持った事は大変素晴らしいことだが、そのような人はおそらく何千人、何万人に一人、極限すれば「奇跡」である。たいていの人は大学を卒業する際にも「将来、何をしたら良いか分からない」と答え、社会人になっても「何か燃えるもの」を持てないでいる。

それで良いではないか。

夢をいつ持てるかなんて自分でもコントロールできないのだ。何も焦らず、周囲には「私、夢待ちです」と何気なく答えれば良いのである。昼行燈で結構。いったん夢を持てば凄まじい能力を発揮するから、それまで待ってくれと言えば良いのだ。一方で、われわれ親や年長者は、子供たちや後輩にあらゆる機会を体験させ、夢を持つ可能性を最大限に引き出してあげるべきだ。そして、彼らが大それた夢を語ったときに、絶対にそれを否定せず、心から拍手してあげるべきだ。「夢を持てておめでとう」と言ってあげれば良い。

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