やりたいことしかやらない若者に振り回されるバブル世代の憂鬱
職場の宴会より合コンを優先する「新人類」と呼ばれてはや20年が経ちました。
イケダハヤトさんのブログで「『やりたくないことはやらない』4つのメリット」が議論を呼んでいますね。
同じオルタナブロガーの上田修子さんのつぶやきで知ったのですが、上田さんと同世代の方(大雑把にくくると私も入るのかなと思う)は、みんな反対意見を述べられているようで・・。
※追記:上田さんは概ね「それでいいじゃん」というお立場です、念のため。
どうやら30代中間あたりを境に、意見がわかれる傾向があるようです。
会社で必要な仕事の総量は変わらないので、もしやりたい仕事がぶつかると、誰かがやりたい仕事をやって、誰かがやりたくない仕事をすることになるわけですが、そんな単純な話でもないでしょう。
若い人達がやりたい仕事だけやって、バブル世代が嫌な仕事だけやっているのかといえば、むしろ逆なんじゃないでしょうか。
「やりたい」は主観であって心の持ちようですから、つまりは姿勢の問題ということになります。
マネージャーとしては、仕事の配分をするときに当然本人の適性や希望、ときには教育的観点や大人の事情で役割を決めるわけですが、「やりたいことだけしかやりたくない」と言われると困っちゃうわけで、管理職層としては文句も言わずに黙々と働いてくれる「やりたかろうがなかろうが石の上にも3年がむしゃらにやる人」が短期的に都合がいいのはいうまでもありません。
おまけにバブル世代は、年功序列で上には無条件に従うことを要求されてきたわけですから「俺の時もそうだったし、何言ってるんだ!」となるのは、当然の成り行きかと思います。
が、これからを考えたとき、本当にそれでいいのでしょうか?と思うのです。
というのは、ホワイトカラーの労働内容が大きく変わりつつあり、これからはやりたい事をやる人しか生き残ることは難しいんではないかなと感じるからです。
その昔の代表的なホワイトカラーの職業は、「士業」に代表される高度な事務作業中心の知的労働でした。ここでは蓄積した知識とノウハウを活かして、効率的に事務作業をこなしてゆく人が「有能」とされます。
しかしIT化の進展で事務作業の多くは自動化されました。さらに右肩上がりの時代は終わり時代の変化のスピードが増して、同じ作業を継続する能力より、違う価値を見つけられる人がホワイトカラーに求められる能力になりつつあります。
こうなると、自分だけの価値を持ったホワイトカラーが生き残ります。
我慢してやることにクリエーティビリティはそれほど出ないでしょう。
とりあえずイケダハヤトさんは、やりたいことをして、言いたいことを言っているからこそ、これだけの話題(価値)を出しているわけで、いやいや書いていたらこんなインパクトは出ないでしょうね。
「全員がやりたいことができて、会社が儲かる」のを理想論と片付けるのは簡単ですが、マネージメントをする立場として冷静に考えれば、「やりたくないことを無理にやり続けるチーム」に大きな価値は出せないし、未来はありません。
マネージャーとして、本当にそれでいいのでしょうか?
時代は変わっています。次の世代の意識や行動が変わってくるのには必ず理由があります。
モノマネ製造業でコストパフォーマンスの高いモノづくりで立ち直った時代から、世界一になって独自の個性や技術を出すことが求められた時代に、私たちは完全な年功序列から、個性を出して自分だけの成果を求めはじめたはずです。
杭を打たれ続けて、「忍耐強くやりたくない仕事をやる中間管理職」に変容してしまったのは仕方が無いかもしれませんが、それでも前の世代とは違います。
もちろん、「やりたいことしかやらない」わがままが通用するのは、やりたいことの実力がある場合に限られます。
若い人だって、自分の意志にかかわらず能力がなければ「自分のやりたい仕事」には就けません。「やりたい」は解釈で人それぞれですから「やりたい仕事」の幅が広い人か、「やりたい仕事」で誰よりも輝ける人が評価されることはいうまでもないですし、あてがわれた仕事がやりたくないなら、転職する自由がある社会です。会社に文句を言ってはいけません。
でも、バブル世代も初心を思い出して、もうちょっと「やりたい仕事」に自分も部下もこだわらせてみてはいかがでしょうか?意識の面で。
※若い方へ。もちろん雇用は市場の原理に動かされるので、価値のない仕事をする人に払う給料はありません。
あ、価値のないバブル世代もか・・・(T_T)
※続編はこちらです。