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「死ね」という言葉に見るネットユーザーと非ネットユーザーの断絶について

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例の「保育園落ちた、日本死ね」ブログを発端にした論争ですが、国会議員や主に年配の知識人がひどい失言を繰り返して、ますます対立を深めている感があるんですが。
ブログの内容については共感できるのですが、言葉遣いはさすがになあと思うところもありまして。

そもそも「死ね」という言葉、60代以上の世代にとっては「公衆の面前で滅多に言ってはいけない言葉」の種類のもんなんですよね。

若い世代は普通に使いますけど、60代以上がこれを言う時は「もう絶縁関係か敵対関係にあり、もう一生会いたくない」相手に対しての最大の罵倒語で、要するに言われた方は瞬間的に頭に血が上ります。
私の世代はちょうど折り返し点でして、高校生の頃までは公共の場所で「死ね」とかいう人は見たことがなかったし、子供が大人の前で言えば殴られたもんです。

大学で、この言葉を軽く使う友人がいたのですが、予想通り言われた方が殴りかかって喧嘩になる場面が何度かありました。
それくらい受け取る温度差が違います。
2ちゃんねるとか同じ国の人間とは思えない感じでしょう。
(私も最初びっくりしました。文章の内容より文体の言葉遣いにひっかかってしまい、冷静に読めません。
ネットで最も慣れるまで時間がかかったものの一つです。)

失言する方が悪いと言われればそれまでなんですが、三つ子の魂百までですから、その価値観が年配の方に残っていることは仕方がありません。
心の奥底に男女差別感情とか、母親論とかいう旧来の価値観ってのは残っているんです。

ただ、それを直そうという意志を持ってはじめて価値観のギャップが埋まってゆくのであって、若い人が最初に「死ね」と書いちゃったばっかりに、年配者の理性と歩み寄ろうとする気持ちを吹き飛ばしてしまった気もするんですよね。
まあ、このブログ書いた人は、まさかネットに縁のない人たちがこぞって読むことになるとは想像もしなかったんでしょうけど。

ここにネットユーザーと非ネットユーザーのすれ違いがあるような気がするのです。
ネットのブログがシェアされた時には特になんとも思わない言葉遣いが、コンピュータのない家で新聞や高齢者の茶の間のテレビにそのままアップで映し出された瞬間、得体のしれない異物が入りこまれそうな拒否感を覚える人も多いのではないでしょうか。

感情の対立は理屈でねじ伏せることはできません。
そして、最終的に選挙の票では人数も投票率も年配者が勝つのです。
残念ながらこれは事実。

なので、余計な対立はしないでいいと思うし、感情を逆撫でしない配慮はしても損にはなりません。
対決して勝てる相手ではないですから、安心してもらって若い人に任せてもらうしか意見を通す道はないのですから。


てなことを書く私はつくづく年を食ったと思ってしまうのである。はあ...。
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