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もしも洞察力があったなら……。

対話することの大切さ

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昔々あるところに、新しいものに目がなくて最先端の手法をどんどん取り入れて無駄なくムラなく効率的、効果的に仕事をし、浮いた時間を別のことで時間を埋め、ただひたすら忙しくすることで人生の幸福感を高めていくことこそ唯一無二の正解であると信じて疑わない若者がいました。

効率的な考え方を推し進めると、論理的に正しいか否かでのみ判断をしていくこととなります。そのときに「これまでのお付き合いを鑑みて」「あの人はいい人だから」「これまでたくさんお金を費やしてきたので」などはサンクコストのような観点でバッサリと排除するわけですね。

飲み会は無駄だといかなくなり、雑談は意味がないと切り捨て、本音なんて聞いても気色悪いと、やがて人と対話することに対して消極的になっていきました。

しかし若者はやがて齢を重ね、成功や挫折を織り交ぜながら様々な経験をし、これまで絶対だと信じていた効率や効果の追求だけでは十分な成果を出し続けられないことを学びます。

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おそらく人は様々な鎧ともいえるような殻を身に着けています。どのような悩みを抱え、どのように向き合っているのかを探り、どのような考えで行動を起こしていくのか。この意識と行動を探っていくプロセスはとても大切で、メールで質問したらすぐに答えを得られる性質のものではありません。仮にメールで回答を得られたとしても、それが能動的かつ持続的な行動につながることは稀だと考えます。人はすぐほかのことに忙殺されるし忘れるし、言われてやらされる仕事は受け身で優先順位は上がらないし、ちょっとやったことにすればそのあと何もしなくてもだれからも何も言われないと考えるからです。誰かに指摘されたことに対して長い反省文を書いたり書かされたりすることで、本当に反省して行動や言動が変わる人なんてほとんどいないと思っています。なぜか。

息を吸うように、歯を磨くように、火曜日に燃えるごみを出すように、朝目覚めのコーヒーを飲むように、正月に初詣に行くように、クリスマスに大好きな友人や家族へ贈り物するように、人に会ったら挨拶をするように、習慣づいていないからです。

では習慣を変えるにはどうすればよいのか。

心を揺さぶることです。心が揺さぶられることです。感動したり、泣いたり、笑ったり、時に怒ったり。強烈な感情の起伏が起こると、それは何でもない日よりもちょっとだけ長く記憶に残り、そして意識や行動が変わることがあるようです。私自身もそう思います。

一方で、心は簡単には揺さぶられません。大人になればなるほど。経験を積んでいくことでいろんなことに慣れ、それらが当たり前だと思い、意識や行動の変化が起きにくくなる。

そんなに簡単なことではない中で、対話をしていくことでその心の揺さぶりが起きることがあります。京都に来てひと月半。毎日のようにそのような体験をしています。コロナが収束しているとは言い切れませんが、もちろん安全に配慮して、人と会って話をする。信頼関係を築き、確認し、誰かの自慢や悩みを聞き、必要なら意見を交換する。そんなことを繰り返していくと、どこかでこの心が揺さぶられる事象に出会います。泣いたり、笑ったり、時に怒ったり。そして感動したり。

あくる日。話した相手の言動や行動が少しでも変化していたら、ちょっと楽しくなります。ちょっと楽しいが続くと、世の中ずいぶんと面白くなるかなと。

そのためにも、対話して対話して、自分自身もあえて心を揺さぶられ続けて、意識や行動が変化するスイッチを入れていく。こういうのを楽しむっていうのも、アリかなぁ。

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