セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

貧しさの実感

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デング熱で大騒ぎ。まあ、報道を聞いている限り、さほど深刻なものになるとは思えないが、ただ行政やマスコミの対応を見ていると、福島原発を思い出す。最初は、小さな区域だけ封鎖すれば良いと言っていて、結果がどんどん拡散していく。何故このように危機意識が薄いのか?或いは、人の行動を制約することに及び腰なのか?これもわが国の戦後の誤った個人主義の導入と責任を伴わない権利意識によるのではないか?

最近驚くのは、テレビや電車の中での消費者ローンの宣伝の多さだ。私は、多重債務者問題は本人の責任も大きいし、自己破産制度が整備されているわが国では、不適切な業務運営を遂行する業者などを除いて一般的な規制をあまりかける必然性はないと感じている。しかし、一方であれだけこの問題について大騒ぎしたのに、「もっと借りよう」と言わんがばかりの宣伝が横行しているのも不思議だ。これも消費者ローン会社がすべて大手銀行の系列に入ったからか?債権法改正でも債権譲渡など、必要以上に金融機関に配意した議論が行われている点が気になる

閑話休題。ところで、先日欧州へ行ってきたが、その際のことを思い出して、この間知人と話していて一致した認識がある。我々が確実に以前と比べて貧しくなっているという実感だ。

バブル時代に北米に赴任していた時代、バブルの崩壊後アジアを中心に出張をしていた時代、その後仕事を転々とする中で、欧米やアジア諸国に海外出張に行っていた時代と比べて、ホテル代にしても食事代にしても、先進国だけでなく途上国でもとても高く感じる。

つまり自分の購買力との比較で、スイスやイタリアはもちろん、アジアの途上国でも、例えば昼飯が高く感じるのだ。もちろん自分が以前と比べても質素な生活をしているなどの理由もあろうかとは思うが、やはりこれは日本の国力が衰えてきたからではないか?もっと端的に言えば円が安すぎるのではないか?

大英帝国が衰弱していったように、或いは平家物語のように、国力が永続的に強いなどということはないが、衰え出した力はなかなか回復は出来ないだろう。ましてや、加工輸出型の国家像を下に、円安誘導を指向するという今の政府の考え方からすると、これは不可逆的な流れのように感じる。

しかし、何度もここでも指摘しているが、既に製造業はGDPの3割を大きく下回っている。それにも関わらず円安誘導をすることで、国富の価値を下げていくという手段は本当に望ましいのか?国力を失いながら、益々低価格競争に突入し、政府を挙げて国際商戦における勝利を目指す。そしてそのために円安誘導を行う。

一方でその結果として原材料価格が高くなるが、輸出産業の価格競争力のためこれを下げる目的で原発再稼働を推進するというのが図式だ。そしてその片方で、原材料の確保のために巨額なODAなどの手立てを講じる。

第二次大戦を経済的に見れば、米国と日本の間の、アジアや中近東の石油や鉄鉱石という資源獲得の競争だったと指摘したComing War with Japanという書籍が思い出される。わが国は結局同じことをしているだけなのでは?そして、一方で大英帝国の植民地支配のような戦略を相変わらず続けようとするロシア、更に巨額の経済援助と国境の変更という手段で帝国主義的資源確保に向かう中国、人類はやはり進歩しないのか?

そしてその中で、新たな価値を提示することなく、わが国は衰退の道を歩むのか?輸出産業を強化する、価格競争力を高める、資源を確保する、円安誘導する、こんなこれまでの政策と全く真逆の政策を打ってみてはどうだろう?

 

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コメント

山家 祥文

貴方の感じているそれが、いわゆる「グローバル経済の結果」ってやつだろう。
しかし日本固有の問題がある。高学歴者が「何故そうなっている」と考えないのだ。「日本のホワイトカラーの生産性はダントツで低い」「生産現場の生産性は結構良い」と情報を、満員電車の中で読む日経やスマホの記事から、踏み込んで考える事が無い。真面目に考えれば「非正規雇用比率が原因ではないか?」くらい考えつきそうなものだが、そんな疑念は脳裏から削除してしまうのだ。自動的に。
ただし「円安=国力の低下」は短絡に過ぎるかもしれない。ここ10年「通貨不人気競争」が各国間で熾烈に行われて来た事を考えねばならないし、円安が株高の原因である事も考慮にいれないといけないだろう。しかしこれは「グローバル経済ルールに最適化する条件」でもある。
いわゆるグローバルなんたらは、ナショナルな指標を一顧だにしない。つまり国力の定義そのものが意味無しなのである。世界の貧困化を歓迎する哲学とは何か? これを考え抜かなければならないと思う。

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