セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

平和主義の意味とは?

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中国はロシアと共に、ナチスとわが国軍国主義の敗北70周年を記念する式典を考えているそうだ。戦後70年が経とうとしている今、ましてやその後平和裡に過ごしてきているわが国としては、何を今さらという気がするが、一方で歴史認識を重視する立場からするとある意味必然なのか知れない。

特に、第二次大戦まで欧米列強などの搾取に苦しんだ中国としては、それらからの解放を改めて喜びたいということなのだろう。だが、だとすれば自国の常に支配民族が完全に入れ替わる凄惨な歴史は、彼らはどう総括するのか?そして、ジンギスハンの世界制覇はどうなのか?彼は漢民族でないから関係ないと言うのか?

まあ、このような議論は置いておいて、まずはそろそろ戦後の世界平和のスキームそのものを見直すべき時に来ているのではないか、という気がする。いつまでも第二次大戦の結果にこだわりたいのは、中国は第二次大戦によって始めて国家として認められたからということだろうと思うが、もはや欧米列強とロシア、中国が世界の中心という時代ではなくなってきている。

そして、歴史認識の重要性は認めるにしても、あまた繰り返される世界各地の紛争の中で、第二次大戦だけをとらえて、世界平和や国際連合の活動に多大な貢献をしてきているわが国が、国際連合において敵国条項対象国であるということには納得できない。新たな世界秩序の中で国際連合や安全保障理事会などの仕組みを整理し直すすべき時期に来ているのではないか?

一方で、日米豪が中国を念頭に置いて力による現状変更に反対するという共同声明を発することは、首肯できる。ただ、だとすれば、わが国の現在の行動はすべてにおいてこのような声明と整合性を持っているのか、きちんと整理すべきではないか?

武器輸出や集団的自衛権の政府解釈による変更が、本当に平和主義という考え方と整合性を持っているのか?確かに、中国の経済力強化を背景とした東アジアにおける様々な行動は、わが国の安全保障に多大な影響を及ぼすことは事実だ。

しかし、では武器輸出を解禁し、特に米国を念頭に置いた集団的自衛権を積極的に認めることが、力による変更とは異なり、平和主義に基づくものだと本当に言えるのか?あくまで自衛なので、力による変更ではないというのが理屈なのだろう。

だが、わが国の平和憲法の趣旨は、そのようなものなのだろうか?確かに自衛権はどの国にも認められるべきだし、そのために一定の軍備を必要とするというのも理解できる。だが、日本国憲法がその前文や9条で宣言していることは、そのようなレベルのものなのだろうか?

私は、平和主義を標榜する日本国憲法を世界最高の憲法典だと思っている。そして、そこで我々日本国民が目指そうと宣言しているのは、まさに力や軍備で世界秩序を決めていくという20世紀型の国際政治からの決別だと思っている。

だからこそ、わが国の軍備に相当する自衛隊が、これまでのタガを外されて他国の紛争に関与する可能性を安易に認めることには反対だ。それは、結果として力や軍備に頼った時代への逆行だと考える。もちろん現実を直視すべきだ、現実の危機があるではないか、という主張には一理あると思う。

だが、力に対して力で応じるところに人類の進歩はない。日米安保が現在のわが国の安全保障の要であることはもちろん十分に認識しつつ、そもそも朝鮮動乱の際に米国の要請に基づいて始まった自衛隊を、今度は米国の軍隊を守るために活用しようというのが、ある意味集団的自衛権の現実だとすれば、果たしてそこまで踏み込むべきなのか、良く分からない。

わが国は、もちろん自国を守るために軍備は持つが、自ら他国に対して軍備を用いて紛争解決することはしないし、世界中の紛争に対して軍備を用いては関与しない、そして世界から力や軍備を用いての紛争解決が消滅することを平和主義を標榜する国家として、世界の先頭に立って推進する、というのが私の平和主義に対する理解だ。

その上で、自国の防衛について、他国である米国の若者が命をかけて守ってくれるはずだという幻想は、そろそろ捨て去るべきだという現実論に立つとすれば、しっかりと国民を巻き込んだ真剣な議論を時間をかけて行い、前記の平和主義の原則に立ちつつ、自衛のための軍備を明確に位置付ける憲法の改正を検討すればよい。

Comment(1)

コメント

山家 祥文

「第二次大戦まで欧米列強などの搾取に苦しんだ中国」と文中にありますが、事実無根です。日本は貿易赤字国でしたが、清朝末期>蒋介石政権下の中華民国にいたるまで、シナは貿易黒字国でした。1920年代に入ると日華合弁の繊維会社等が盛大に欧米日に輸出し、その輸出関税で潤っていました。ナチスドイツがその経済力に目をつけ、兵器や自動車を大量に売り付け、さらに現地工場まで建設しようとしてたことからも「儲かっていた」事は明白でしょう。
「列強による搾取」といいますが、シナの実業家が命や財産を守るには、いわゆる租界、すなわち列強国の警察力支配下に事業と家族の居住を求めるしかなかったのです。治安と平和、いくばくかの屈辱込みながらの保護が租界にはありました。つまり内政において失敗し続けたのが19世紀から現代にいたるシナの現実です。
蛇足ながら9条の「戦力を赦さない」の主語は「ダグラス・マッカーサー」ですので、あまり思い入れタップリ過ぎるのは考えものと思います。ワシントンの訓令ですらない、一軍人の勇み足が9条であった現実もご勘案下さい。

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