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ソニーエリクソンの挑戦(22)~2001年10月、ソニエリ設立の頃

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2001年10月に、ソニー・エリクソン・モバイル・コミュニケーションズが設立されましたが、発足当時の社内は、どんな雰囲気だったのでしょうか? 以下は、設立から2003年8月まで、ロンドンで広報を担当されていた菅野哲央氏(現在はソニーで広報担当)の証言です。

--ヘッド・クォーターがロンドンになった理由は?

一つは、中立的なイメージを保ちたかったということがあります。東京がヘッド・クォーター、あるいは、スウェーデンのストックホルムや、開発拠点のルンドが、ヘッド・クォーターというよりは、もう少しインターナショナルで中立的なところがいい、というのがありました。また、ソニーエリクソンは、グローバル・カンパニーとして始まったため、トップ・マネジメント中心に、世界中を飛び回らなければなりませんでした。ですから、ロンドンは交通の便が良かった、ということもあったようです。アメリカに行くにも、東京に行くにも、スウェーデンに行くにも便利でした。スウェーデンからの場合、ルンドはコペンハーゲンが近いので、そこから東京への直行便が出ているのですが、ストックホルム-東京の直行便は無いんですね。そうするとストックホルムから東京に行く時は、パリとか、ロンドンとか、フランクフルトなどを経由して行くことになるので、1ステップ入るため出張の手間がかかってしまいます。ロンドンですと、当然ヨーロッパ中にアクセスできるし、主要な国際ハブ空港、東京やアメリカを含め、いろいろなところに行けるので便利だった、というのはあります。

--会社が設立された頃の人員構成は?

グローバルで4000人いて、そのうちソニーが1000人、エリクソンが3000人。ソニーの1000人のうち、700人が日本法人の所属ですから、GSMのグローバルなビジネスに関わっていたソニー出身者は、300人弱です。GSMに関しては、商品企画やコンテンツ、アプリケーションなどのポジジョンは、ソニー出身者が占めていました。もちろん他の同等のポジジョンは、エリクソン出身者もいましたので、すべてのポジジョンをソニーが独占したわけではありませんが。

--設立当時の社内の雰囲気はどんな感じでしたか?

ソニーエリクソンというのは、鳴り物入りで設立された会社ですから、ぜがひでも成功させなけないといけない、と思っていました。それぞれのカルチャーの違いを、いかにうまく融合させるか、ということにかなりのエネルギーを割いていました。『カルチュラル・インテグレーション』ということで、それぞれのリファレンス・カルチャーを理解して、みんながハッピーになるには、どうしたら良いか、外から専門家を呼んでレクチャーを受けたりしました。人事にも、そういうことを専門に担当している人がいて、たえず、みんながそういうことを意識しながら、「これがうまくいくことが会社の成功につながる」と、そういう側面がありました。会社が発足してからは、定期的に・・・、2-3カ月に1回は、人事などがコーディネイトして、ロンドンやスウェーデンなど、いろいろな場所で、先生の話を聞いて、ワークショップなんかをやったりしました。お互いに違うことを意識しながらも、うまく融合しないといけないという意識は、みんなが強烈に持っていました。

--ソニーというのは、グローバルな会社で、『カルチュラル・インテグレーション』は、得意だったと思うのですが?

会社の姿勢として持っているものと、そこにいる個人個人が、とけ込んでうまく動くため、というのは、また別のことですよね。ソニーエリクソンに集められた人たちは個々の経験がバラバラで、カルチュラル・インテグレーションの経験を持っていても、自分の属する組織の中でうまくやっていくには、常に求められるテーマだと思います。会社として、カルチュラル・インテグレーションの経験があるかということに加えて、実際に、そういうことをやることは必要だったと思います。

--文化的なこと以外で、ソニー出身、エリクソン出身といったことから生じる軋轢はありましたか?

いろいろなところでコンフリクトはありました。しかし、それはマネージしていこうと。けっこう人事がらみなんかで、人事のヘッドなんかは、かなりこういった文化的な違いとかに、やっぱり心を砕いていましたね。ただ、それぞれの出身会社に持っている誇り、というかプライドみたいなものが、干渉したという気はしないですね。むしろ、もっと根本的な文化的なことの方に配慮がされていたし、そっちの方が大きかった、という気がします。ビジネス立ち上げの時に、自分のもともといた会社がどうのこうのって、あんまり関係ないんじゃないか、と思います。やはり重要なミッションをおびて、それぞれの親会社から、期待されて立ち上げなければならない会社に入った。頑張らなきゃいけない、という気持ちは、あったと思います。私はエリクソンにいたんだ、ソニーにいたんだ、というようなことを思っている人は、あまり見受けられませんでした。私も、あまりそういうことを思ったことはありませんでした。

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