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ソニーエリクソンの挑戦(20)~1999-2001年、ソニーの事情

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1999年7月に、北米でのCDMA事業からの撤退を決定したソニーは、携帯電話事業のリソースを、日本を含むアジア・欧州・オセアニアに集中させる、第三世代技術は日本と北米向けのCDMA2000、日本と欧州向けのW-CDMAに重点を置く、という方針を打ち出します。

ソニーは日本国内向けでは、1999年頃までは、KDDI向けのCDMA端末の開発を優先していたようです。しかし、2000年には、NTTドコモ向けの端末を、4年ぶりに開発することになります。これが『SO502i WM』という機種です。末尾の『WM』は、ウォークマンの略ではなく、『With Music』の略なのだそうですが、音楽再生機能を重視した携帯電話というアイデア自体は、この頃からありました。

2000年には、NTTドコモ向けの携帯電話を発売したこともあり、ソニーの携帯電話事業も、それなりの存在感を示していたようです。しかし、2001年に入ると、次々と携帯電話の不具合が発生し、リコールが続きます。1-6月だけで、リコールは113万台にのぼったそうです。そんなさなかの2001年4月に、ソニーとエリクソンの合弁設立が発表され、2001年10月のソニー・エリクソン・モバイル・コミュニケーションズの設立へと至ったわけです。

ちなみに1999年7月に、米国のCDMA事業からの撤退を決定したのは、当時ソニーで携帯電話事業を統括していた井原勝美氏でした。ソニーも恐ろしい会社ですよね。不採算だった米国の携帯電話事業の撤退を決めた人物に、新たな合弁の立ち上げを命ずるのですから。井原氏も、これに失敗したら、どうなるか骨身にしみてわかっていたと思います。そう、あの南極探検船エンデュアランス号の募集広告の文言が思い返されます。

--暗黒の長い日々。絶えざる危険。生還の保証なし。

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