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ソニーエリクソンの挑戦(14)~1994年2月、米クァルコムとのジョイント・ベンチャー設立

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これは意外と知られていないことなのですが(私もソニー・エリクソンについて調べるまでは、知りませんでした)、ソニーは1994年にアメリカで、米クァルコムとジョイント・ベンチャーを設立し、CDMA対応携帯電話の生産を行っていました。

クァルコムといえば、現在は、端末の生産からは撤退し、CDMAに関する特許料収入と、携帯電話向けベースバンドチップの開発・販売、アプリケーション・プラットホーム「BREW」の技術供与などが、主な事業の柱となっています。

このクァルコムとソニーが1994年に設立した合弁会社「クァルコム・パーソナル・エレクトロニクス」(Qualcomm Personal Electronics=QPE)については、"The QUALCOMM EQUATION"(クアルコムの方程式、デーブ・モック著、AMACOM 2005年)において触れられています。以下は、同書pp.114-115の拙訳です。

「世界のすべてのグローバル企業の中でも、クァルコムにとって、ジョイント・ベンチャーを設立する最良の機会は、サンディエゴの本社から通りを下ってすぐのところにあった。1993年末、クァルコムは、ソニー・コーポレーションのアメリカ・オフィスとジョイント・ベンチャーに関する話し合いを始めた(ソニーは、すでにクァルコムとCDMAを採用する契約を結んでいた)。
 1970年代から、サンディエゴを拠点としていたソニーは、CDMA方式の携帯電話を製造する上で、最高のパートナーだと思われた。その日本を代表する大企業は、強力なブランドを持つ、世界トップの消費者向けエレクトロニクス・メーカーとして君臨していた。そして、幸いにも、ソニーは、CDMA対応携帯電話の製造を望みながらも、その能力に欠けていた。
 ソニーは、テレビや、その他の家電製品を製造するためにの生産設備を、サンディエゴと、メキシコのティジアナに保有していた。そのため、携帯電話のデザインや製造を地元で行うことができ、これは製品をマーケットにすぐ投入できるという点で、大きなアドバンテージとなった。
 そして、またソニーも、先進的な通信分野への進出を望んでいた。ソニーのアメリカにおける事業は、いくつかの分野において活発であり、ソニーのカッティング・エッジ(先進的)なスタイルは、クァルコムの革新的なCDMA技術にふさわしいものだった。
 果たすべき役割と義務に関する集中的な交渉を経て、1994年2月、両者のパートナーシップは、ジョイント・ベンチャーとして結実した。こうして、ソニーが49%、クァルコムが51%出資するクァルコム・パーソナル・エレクトロニクス(QPE)は誕生した。両社は、このジョイント・ベンチャーに、あわせて2500万ドルの投資を行い、それぞれの社内の当該部門を移管させた。クァルコムとソニーは、1995年前半までに、このジョイント・ベンチャーに生産能力を備えさせるために、3600万ドルの融資も保証した。
 (携帯キャリアの)US WESTから、すでに端末の注文が入っていたことから、QPEは、生産を開始するために必要な、装置、人材、そして設備を購入していった。(中略)両社のパートナーシップは、技術の移管、数千人の人材確保、サンディエゴにおける先進的な工場の開設へと突き進んでいった。
 そしてソニーは、ワイヤレス・コミュニケーションのリーダーになるという重要な戦略の一環として、1995年、佐藤裕、ウォークマンの成功を支えた天才(The Prodigy behind the Walkman's success)、をQPEの指揮を執らせるために派遣した--。

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