横浜を走るシーサイドラインという電車のある駅にて。
高架線なので、エスカレータでホームに向かいます。
「あれ、困ったわね(笑)」と妻。
「?」
彼女の視線を追うと……
【降りることができません No Entry】
という看板がエスカレータの出口に。
何か間違ったことをしているのかと、一瞬焦りました。
2秒ほどしてようやく気づきました。
この看板は、この駅で下車した人のために掲げられているのですね。
エスカレータの出口がホームのやや端にあるため、ホーム中央に降り立った人から見ると
これが上りエレベータであることが分かりません。
もちろん、ちゃんと降りられました。ハッとしたというよりはドキッとした話。
もし、たとえば気持ちが落ち込んで瞑想する必要を感じるときだけやるのは、意味がないの。それだとやっばり気分の言いなりになっていることになるからなんですって。気分というのがいちばんの暴君で、そもそも坐禅の理念はその暴君から自由になることなのだと先生は言うの。
― ローレンス・シャインバーグ 『矛盾だらけの禅―悟りを求めるアメリカ人作家の冒険』(清流出版、2010年、太字は引用者による)
情動(emotion)とか気分(mood)とかのお勉強をしていたせいか、太字の部分にハッとしました。われわれはいつもなにがしかの気分でいるわけですが、ある瞬間にどういう気分でいるか、明確な理由があるわけではありません。 そんな「気分」がわれわれの思考に意外と強い影響を及ぼすことを考えると、「暴君」とは言い得て妙だと思いました。
上記の引用文の前には『私の先生は、その気になってもならなくても、毎日同じ時間に(引用者注:瞑想を)するのが大事だと言うわ。』という一文があります。これだとたしかに気分の言いなりにはならないけれど、時間の言いなりってことにはならないかな、などと思いつつ、最近読んだ村上春樹の対談で同じような記述に出合ったのを思い出しました。
現物がいま手元にないのですが、それは雑誌『考える人 2010年 08月号』での対談でした。いったん執筆モードに入ったら、毎日決まった量の文章を書いていく。どんなに書けなくても、逆にどんなにノッていても、決まった量を書く。常にそのようにして書いていると話していました。この場合は、量の言いなりになっていると言えなくもありません。時間の言いなりになるにせよ量の言いなりになるにせよ、気分の言いなりになるよりはマシなのか。
ひとりビジネスの人も、「気分」というよりは「時間」の言いなりになることを選んでいるように思います。ひとりカンパニー9年目の僕はわりと気分の言いなりになる方ですが、仲間を見ていると、きちんと着替えたり、オフィスを借りて出勤したりしています。
そうそう、お勉強の一環として読んだ本を肴に書評コラムを書きました。もしよかったらご一読ください。
»マネジャーに贈るこの一冊:ポジティブさの効用を科学する~『ポジティブな人だけがうまくいく3:1の法則』 - ITmedia エンタープライズ
- Specific ― テーマは具体的か?
- Measurable ― 定量的に測定できるか?
- Achievable ― 達成可能なものか?
- Result-based ― 「成果」に基づいているか?
- Time-oriented ― タイム・フレームは意識されているか?
目標設定の「SMART」な原則 - *ListFreak
この頭字語のバリエーションは、Wikipedia(英語版)の SMART criteria によくまとまっています。
SMARTだけでは物足りなくなったのか、SMARTER というのもあります。ちなみにEはEvaluate(評価)、RはReevaluate(再評価)とするのがメジャーな用い方とのこと。いかにも苦しいですね。いまごろ誰かがSMARTESTもこさえていることでしょう。
このWikipediaの記事では、同じ目的でSMART(賢い)ならぬ DUMB(馬鹿な)というニーモニックも載っていました(ここがハッとしたところ)。勝手訳を付したものを紹介します。
- Doable ― 実行できるか?
- Understandable ― 理解できるか?
- Manageable ― 管理できるか?
- Beneficial ― 有益といえるか?
目標設定の「DUMB」 - *ListFreak
SMARTよりも項目が1つ少ないところもDUMBという名前にふさわしい、かな。残念ながら本家のSMARTには及ばないですね。上記の 目標設定の「DUMB」 というエントリではDUMBの他のバージョンとSTUPID(DUMBと同意義で「愚かな」という意味がある)という頭字語も収集しました。
※ 書きながら “Writing and setting SMART objectives and SMARTER objectives“ という記事を見つけました。とりつかれたように(といっては失礼ですが)SMARTのバリエーションを収集しています。SMARTの原典探しについても記述あり。
PowerPoint スライドを表示しながらグループワークをお願いしたりするとき、画面にタイマーを表示させたいことがあります。タイマーソフトを別に立ち上げておいて最前面に持ってきてもよいのですが、スライドに埋め込むこともできます。僕のやり方をご紹介します。
1. Flash 製のタイマーを手に入れる
Online Stopwatch というサイトでは、さまざまな種類のタイマーをサイト上で作動させることができます。のみならず、スタンドアロンでも使えるように .swf と .exe ファイルがダウンロードできるようになっています。僕が愛用しているシンプルなカウントダウンタイマーを例にすると、使い勝手はこんな感じです(画面イメージは .exe ファイルのもの)。
ボタンをクリックして、カウントダウンする時間を入力。残念ながらキーボード入力は受け付けてくれません。20分なら「2」「0」「0」「0」。終わったら ”Set”をクリック。
"Start"をクリックするとカウントダウンが始まります。
"Pause"で一時停止。ワークの最中にコメントを出したいときなどには意外に便利。秒の下にある数字は、1/1000秒。すこし画面がうるさくなるので、これは無いほうがいいのだけれど消す方法がない/分からない。
ゼロまで行くと点滅し、1秒ほどキッチンタイマー音が鳴ります。"Clear"をクリックすると2つ上のカウント開始画面へ。
カウントする時間を変えるときは画面左下の”Back”をクリックすると、最初の時間設定画面へ。
このカウントダウンタイマー、exe版は2.4MBですが swf版はわずか31KB。ですのでswfを埋め込みます。可搬性を考えて、.swfファイルは埋め込みたいPowerPointファイルと同じディレクトリに置きます。
2. PowerPoint スライドにタイマーを埋め込む
ずばり、こんな感じ↓で。
プレゼンテーション内で Adobe Macromedia Flash アニメーションを再生する - PowerPoint - Microsoft Office Online
「プレゼンテーションに Flash ファイルを追加する」の「7. Shockwave Flash オブジェクトを右クリックし、[プロパティ] をクリックします。」までは上の文書のとおりですが、プロパティ画面で変更したのは Base(".\"を入力)と Movie("online-countdown.swf"を入力)だけです。
埋め込んだ直後は編集画面上にタイマーが現れないかもしれませんが、スライドショーを実行すると左図のような感じで表示されます。
PowerPointからリンクしているSWFオブジェクトは1つですが、スライドショー中に複数のタイマーを並行して動作させても、独立に動きます。1スライドに埋め込まれた複数のタイマーでも、複数スライドにわたって埋め込んだタイマーであっても、大丈夫。まあ、そんなことはしないと思いますが。
質問力(Questioning Skill)をテーマにしたエクササイズを設計しようと思い立ち、「質問」に関する本を読んでいます。今日目を通した本にハッとする言葉がありました。
ハイレベルの「質問力」で大切なのは自分自身にその質問をした時、どう答えるのかを、一応シミュレーションして、ある程度の答えを用意しておくということである。自分が聞かれたら、とうてい答えられないような質問はしない。
齋藤 孝 『質問力―話し上手はここがちがう』(筑摩書房、2003年)
齋藤は、作家のダニエル・キイスと歌手の宇多田ヒカルの対談を引用しています。キイスは「あなたは天才かな?」という一見素朴な質問を宇多田に発し、彼女の答えを受けたあと、自分なりの天才の定義を述べる。齋藤はキイスが天才とは何かについて語る用意があるところに着目します。
ごくまれに、すごく下手に出ながら、いろいろ難しい質問を投げてよこす方があります。あなたはどうお考えですかと聞き返しても、いやいや私なんかは……とかなんとかいって答えてくれない。困りますよね。会話が続かない。僕なんかも実はやっているかもしれません。そんなときに「自分が答えられそうもない問いは投げない」という言葉を思い出したいものです。
上下関係があっても、この心得は使えそうに思えます。
社員 「社長、会社のビジョンをお示しくださいませんか?」
社長 「キミなら我が社のビジョンをどう示す?」
社員 「……」
社長も社長かもしれませんが、僕が思うに、これは社員の負けであります。自分の視座は低く視野は狭いことを自覚しつつ(職位からいって当然です)、問う以上自分なりの見解を持ってぶつかっていくべき。そうでなければ「答えクレクレちゃん」ではありませんか。
モンティ・ホール問題(Wikipedia)というのをご存じでしょうか。もしご存じなく、クイズにご興味のある方は先のリンクからどうぞ。簡単そうに思えるのに正解を見てもなかなか腑に落ちない、なんともイライラする問題です。
これに、コラムニストのマリリン・ヴォス・サヴァント氏がコラムで回答を寄せました。世界で最も高いIQの持ち主としてギネス認定され、有名になった人物です。『読者から「彼女の解答は間違っている」との約一万通の投書が殺到した』(Wikipedia)とのこと。インターネット以前の時代の話ですから投書はsnail mailだったはず。封書が1万通ってすごいですよね。史上最大級の「炎上」かも。しかし、結局は彼女が正しかった。
なんとなく歴史上の人物のように思っていましたが、あるとき、まだ同じ雑誌に同じコラム(Ask Marilyn)を書き続けているのを知り、RSSリーダーに登録しました。ときどき読んでいます。
今月の最初には、こんなクイズ(読者からの投稿)が載せられていました。
友人の家から私の家まで、1台のバイクで行きました。最初は私が歩き、彼がバイクに乗りました。数ブロック進んだところで彼はバイクを停めて歩き出します。私はバイクのところまでたどり着くとそれに乗り、彼を追い越して数ブロック行き、バイクを停めて歩き出します。彼はバイクのところに着いたら、バイクに乗ります。これをずっと繰り返しました。
つねに、すくなくとも2人のうち1人は歩いていました。1人がバイクに乗っていたときもあれば、2人とも歩いていた時間もあったということです。私はバイクを使わないよりは速く移動できたと思うのですが、そうではないという人もいます。どちらかが常に歩いていたのだから、バイクを使っても使わなくても同じだというのです。どちらが正しいのでしょう。
よかったら、読み進める前にちょっと考えてみてください。
マリリンは「私」が正しいと言い、同意できない人たちがプチ炎上を起こしていました。でも結局は、今回もマリリンが正しかった。これって「モンティ・ホール問題」騒ぎに似ているなあとハッとして、エントリを書きたくなった次第。今回はモンティ・ホール問題に比べればずいぶんシンプルですけどね。
と偉そうにいいつつ、僕も反射的に「どちらかが常に歩いていたのだから、バイクを使っても使わなくても同じ」でしょ!と思ってしまったクチ。あー、マリリンにはかなわない。
彼女が間違っていると頑なに信じる人から激烈なトーンのコメントが寄せられるようになったためでしょうか、 しばらくして ”That Biking Puzzle” という補足エントリが立ちました。
"Why We Do What We Do"というタイトルの本があります。直訳すると「我々がすることを我々がする理由」あるいは「なぜ我々は、我々がすることをするのか」という感じ。日本語として不自然でない程度に丸めると「我々がそれをする理由」でしょうか。ちなみに邦題は『人を伸ばす力―内発と自律のすすめ』です。とてもよい本。
なぜかこの手の、関係代名詞が付いているタイトルがかっこよく思えてしまいます。きっと心のどこかで英語らしい表現の象徴のように感じているのでしょう。
この「関係代名詞入りタイトル萌え」とでもいうべきもののはじまりは、レイモンド・カーヴァーの"What We Talk About When We Talk About Love" だったような気がします。村上春樹は「愛について語るときに我々の語ること」と訳していました。つい最近では、『書きだすことから始めよう』の表紙に添えられていた原題 "Wishcraft: How to Get What You Really Want" に目を引かれました。
研修用に副読本を作ろうと思い立ち、先々月くらいからせっせと書いていました。本文が書き上がり、表紙をデザインしてくれた方が、試しに英語のタイトルを付けてくれました。ハッとしましたね。そういえば百円ショップの文具にだって、なんだかそれらしい(時にはかなり怪しい)英語が付いています。英語でひと言添えるのは、いまや日本の伝統なのです。
どうせ英語のタイトル入れるなら、関係代名詞入りのタイトルを入れたい。英語のタイトルなんか誰も読まないと知りつつ、もはや本文の校正そっちのけで、半日くらいあれこれ考えて数十の候補をノートに書きつけました。しかし、どうもしっくり来るものが作れず……とうとうあきらめてしまいました。
ちなみに本の内容は問題解決のサイクルをまとめたもので、タイトルは『問題解決クイックガイド ~ 行動を成果につなげる9つのステップ』です。英語のタイトルは “The Quick Guide to Problem Solving: Finding the Right Means to the End” としました。あー残念。
しかしまだあきらめていません。オンデマンド出版のサイト(booknest)で作ったので、何百部を刷ってしまったわけではないのです。コストはちょっとかかるかもしれませんが、改版のときに再挑戦しよう。かな。
(追記)
『サーフ・リアライゼーション』あらため『SURF IS WHERE YOU FIND IT サーフィンの神様、ジェリー・ロペスが綴るライフスタイルストーリー』もありました。”Surf is where you find it” が原題。
メールでは感情は伝わらない、というのは書き手から見たときの話。伝えなければ伝わらないかというと、そんなことはありません。書き手が自分の感情を伝えないと、読み手は書き手の感情を勝手に受け取ってしまいます。
たとえば、いつも丁寧なメールをくれる人が突然1行のみのメールを送ってきたとしたら、忙しいのかなとか、迷惑に思われているのかなとか、何かを感じます。忙しいはずの人が自分の問い合わせに対してきちんと回答を送ってくれたら、たとえ文章からは感情が読み取れなくても、それを書く時間を費やしてくれた事実から、書き手の熱意や誠意を感じます。
そんなことをつらつら考えているうちに「メールEQ」という言葉を思いつきました。メールでのやりとりの中にも感情面での賢さを感じさせる人、つまりメールEQの高い人はいますよね。ちょっと定義を試みてみよう。
- コンテキスト(文脈)に配慮している
ある方と一緒に研修を提供したときのこと。当日の朝にメールをいただきました。静かな決意にあふれていて、読み手に高揚感と健全な緊張感をもたらしてくれるいい文章でした。ふだんとは違うトーンだったのでびっくり。 - 読み手の特性に配慮している
結論が先頭に来る文章を好む人もいれば、よく背景を説明してもらってから結論を教えてもらうことを好む人もいます。あるいは、呼び方を変えてみたり顔文字を出してみたりして、親密感を測ろうとする人もいます。そういった相手の読み取り方・感じ方を理解し、それに合わせて文章の調子を調節しようとしている人は、EQが高いと感じます。 - (特に感情面で)誤解を受けそうな言葉を注意深く使い、感情や意図を的確に伝える
上のポイントと重なりますが、読み手ごとの特性に配慮すると言うよりは一般的な配慮として。たとえば、何か情報を送ったら「それ、知っています」と返信が来たことがありました。「そんな話くらい知ってますよ(退屈)」ということかな……と思っていたら、続くやりとりで「わたしも知ってます!興味が近いですね(共感)」という意味だと判明。僕もよく失敗するところですが、メールEQの高い人はこの点の配慮がすばらしい。 - 相手の感情や意図に応える
交渉っぽいメールのやりとりの中で、こちらが「~と願っています」と書いたら、そこを引用して「私もです」と書いてくださった方がありました。内容はシビアでも、相手の前向きさが感じられるこの一文で、ホッとしました。
人間はものごとをありのままに見ることができず、なにがしかの判断を加えてしまう。そのことをバートランド・ラッセルはこう語っているそうです。
確実なものを求めるのは、それが人間にとって自然な欲求だからだ。しかし、それにもかかわらず、この欲求は頭に悪い。雲行きが怪しい日に、子どもたちをピクニックに連れて行こうとすると、子どもは晴れるか降るか、独断的な答えをほしがる。こちらが確かなことを言えないと、露骨にがっかりする。
しかし、証拠がないときに判断を差し控えても、訓練(太字は引用者)を積んでいないと、自信たっぷりの予言者にひっかかってしまう… (中略)…どんな美徳を学ぶにも適切な学問というものがある。そして、判断を差し控えるのを学ぶのに一番いい学問は、哲学だ。― ナシーム・ニコラス・タレブ 『ブラック・スワン[下]―不確実性とリスクの本質』(ダイヤモンド社、2009年)
※ (「太字は~」は、引用元では「傍点」です。傍点は表現しづらいので太字に換えました)
著者のタレブ氏は最後の一文に反論するためにこの引用を行っているのですが、それ以外の部分については賛成し、自動的に「判断」を差し挟んでしまうわれわれの性向についてこう述べています。
判断を差し控えるなんて人に教えることはできない。人間はものを見れば必ず判断がついて回るようにできている。私は「木」を見ない。私が見るのは美しい木や醜い木だ。私たちがものに貼りつける、ちょっとした価値判断を引っぺがすのは気が遠くなるほど大変である。同じように、私たちはなんの偏りもない頭を持てない。私たちのいとしい人間らしさのせいで、私たちは何かを信じずにはいられないのだ。
― 同上
この「気が遠くなるほど大変」な「私たちがものに貼りつける、ちょっとした価値判断を引っぺがす」方法が2500年ほど前にブッダによって完成されているらしい、というのが、このエントリで書きたかったこと。
下に引用するのは初期仏教の瞑想法(ヴィパッサナー瞑想)の解説書です。ロープを認知し、蛇と誤認する過程が細かく定義し分けられています。実際にはこの後「怖い」という感情が起きるわけですから、タレブ氏の文章との対比で言えば、「木」と「美しい木」ではなく、その前の「目に入ってきた棒状の物体」を「木」を認識するフェーズに対応しています。
夕暮れ時の山道で、古いロープを眼にした瞬間「蛇だ!」と錯覚し、恐怖に震えた人がいます。対象と眼門と眼識がリンクしただけでは、何を見たのかまだ蛇ともロープとも分かりません。次の「受」の段階でも情報の内容は知られません。ただ「見た」とサティを入れ、眼に対象が触れた事実が確認されるだけです。情報の歪みが生じることはありません。
問題は「想」が機能する一瞬です。蛇とロープを誤認するという、間違った情報の読み出しが提示されてしまったのです。― 地橋 秀雄 『ブッダの瞑想法―ヴィパッサナー瞑想の理論と実践』(春秋社、2006年)
用語の説明は省きますが、意味は取れると思います。この瞑想に習熟しているひとは、タレブ氏が「気が遠くなるほど大変」という、価値判断の引っぺがしができるようです。実は、ここのところ練習中。ちゃんと習いたいな。
○○にご自分の職務を入れて、どうぞ。
ろくに考えもせずに○○をする人たちがいる。なんで○○なんかするの?と聞くと彼らはこう答える。「ああ、だってそれでお金もらってるんだから」
そんな彼らにお勧めしたい。ほかの仕事を見つけろよ。
そんなに難しいことをしろと言っているわけじゃない。奴隷じゃないんだったら、ちょっとぐらいは自分で仕事を選べるだろう。そうでもないなら、これは職業倫理に欠ける行いだと思うのだ。由々しき問題である。自分の仕事に縛られてしまい、「それが仕事だから」と言って、無駄と知りつつ○○をする。私はそういうのを道徳的とは言わない。彼らがやっていることは、「仕事だから」というだけの理由でウソを重ねるに等しい。
○○で害をなす人は、バカかウソつきかのどちらかとしてふさわしい扱いを受けるべきだ。○○屋には、社会に犯罪者よりもひどい害悪をなす人までいる。お願いだから、目隠しをしてスクールバスを運転するのはやめてくれ。― ナシーム・ニコラス・タレブ 『ブラック・スワン[上]―不確実性とリスクの本質』(ダイヤモンド社、2009年)
僕はちょっとドキッとしました。まあ「ちょっと」で済んでよかった。
ちなみに引用元では、5つの○○のうち最初の4つは「予測」、最後は「予想」です。

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