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我々は宇宙創成の真理に近づいたのか─『ヒッグス粒子と宇宙創成』を読んで

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CERN(セルン)という国際的な原子力研究機関をご存じだろうか。ネット関係の人は、CERNと言えばHTMLやWWWを発明した研究機関として知っているほうが多いかもしれないが、ここは原子レベルの物理を研究している機関だ。

CERNはスイスのジュネーブという町にあり、直径が27キロもある─よく山手線の線路にたとえられる─巨大な加速器を持っている。真円の形をしたトンネルが地下に掘られ、強烈な電磁場で陽子や電子をぐるぐる回した挙げ句、ものすごい精度で焦点を定めてお互いを衝突させる実験をやっている。衝突すると陽子はさらに細かい破片に分かれていく。ご存じの方も多いと思うが、陽子は物質の最小単位ではない。陽子もまた素粒子とよばれるさらに細かい単位からなっている。素粒子は今分かっているだけでも17種類あって、“クォーク”もその一部をなしている。

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ヒッグス粒子と宇宙創成
竹内薫(著)、日本経済新聞出版社
(日経プレミアシリーズ) [新書]


そのCERNが今回発見したとしてニュースになったのは、「ヒッグス」と呼ばれる、17番目、つまり最後の素粒子だ。ヒッグスは他の素粒子に質量を与える作用を及ぼす素粒子。だから質量の起源の素粒子と言われたりする。質量は、物理の授業で習ったように、モノの物理的な量を表す概念の1つ。当たり前を言うようで恐縮だが、我々はこの質量という概念を、地球の重力のおかげでモノの重さとして知覚している。ヒッグスが作り出しているのは、その重さの元となっている質量のほうだ。なんかややこしいが。

著者の竹内薫(たけうちかおる)さんは、サイエンスゼロの解説などでも有名な、サイエンス作家。竹内さんは科学が分からない人の目線で解説しようとしてくれるので、「なんとなく興味はあるけど敷居が高くて、、、」という人にとってはありがたい。私もその一人だ。しかし本当のターゲットは序章で「中学生や高校生にも分かるように」とあるように、もっと若い10代の人たちにぜひ読んでもらいたい。

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実際、素粒子は17種類もあるので、それぞれの性質は専門家にしかよく分からない。それが分からなくても前に読み進められるようにするのは、書き手にとっては大変な難しさだと思う。例えば17種類の内数であるクォークは6種類(トップ、ボトム、チャーム、、、)もあって、これらの名前は読んだそばから忘れてしまいそうだ。しかしそれでいい、大事なことはもっと単純な何かがあることを想像することだ。そんなつもりで竹内さんは書いているように感じる。

本書で竹内さんが幾度か繰り返すフレーズに「質量とはエネルギーが集中している状態」がある。これは物理的にも意味深いし、物理以外の分野にも多くの示唆を与えてくれる。例えば「質量」を、「社会」とか「人」に置き換えても意味が成り立つ。「社会とはエネルギーが集中している状態」といえばその通りだと思う。人であれ、組織であれ、それが我々の目に実体のある姿として認知されるためには、エネルギーが集中する必要があるからだ。

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原子力といえば最近は原子力発電所の事故ですっかり嫌われ者になってしまったが、本書を読むとまるで異質なカルチャーを持った研究者たちの活躍が目にとまる。原子力発電所の基礎となってきた原子力工学はどちらかというと電力会社の請け負いで研究をしてきた面がある一方、こちらの理学系のほうは研究者自らの好奇心がドライブして研究をしてきた面が強い。ものすごい研究予算を費やすという点では同じだが、請け負い型と企画型とでは月とすっぽんのように違う。

それから日本人の貢献がとても大きい。代表例をあげれば、最近ノーベル物理学賞をとった南部さんや、小林さん、益川さんたちのような人たちだ。さかのぼれば湯川さんや朝永さんもいる。本書と関係ないが、日本がミクロの真理研究にものすごい資源を費やしてきたことと、微細加工などに代表されるミクロの工業技術に秀でていたことは、日本人の性質と深く結びついているような気がする。

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さてヒッグス粒子の発見で、我々はようやく宇宙創成の真理に近づいたのだろうか。なんといってもヒッグスは17種類の素粒子の17番目だからだ。しかし素人目には出口に近づいたと見えても、実際は入り口をほんの過ぎたところだけなのかもしれない。そもそも、素粒子が17種類もあるというのは、くるくる変わる表層現象を捉えただけであって、本当に基礎となっているものを発見できていないのかもしれない。物理学者たちもそれを認めていて、多様に分岐した素粒子の姿をいずれはシンプルな式で説明できるようにしたいと考えているようだ。

今回のCERNによるヒッグスの発見は、質量という概念を改めて物理の一状態として切り出してくれた。世の中の物質にはもともと質量が備わっていたのではなく、状態として付与されたということだ。そして竹内さんも「質量とはエネルギーが集中している状態」と説明しているように、質量の元はエネルギーだということになる。ではいったい、そのエネルギーはどうして生まれたのかということになると、まだ分からないらしい。そんな“ナゾ”を本書の最後に竹内さんは残してくれた。物理学はこれまで「エネルギーがあるもの」を対象にしてきたが、エネルギーの起源は研究対象になってこなかった。

本書は、簡単にも読めそうだが、すごく難しい問いかけにもぶち当たる。素粒子の研究は、卑近な「ある」ということがどういうことなのかといった好奇心や、自分が見ている世界がほんの一部の世界に過ぎないという謙虚さを呼び覚ましてくれる。宗教や哲学に近づかずとも、卑近なナゾに気づけるというのは大事なことだ。竹内さんがそこに触れなかったことに、我ながら安心もした。

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