オルタナティブ・ブログ > 仕事を楽しく未来を明るく >

ビジネスを創る変える人たちと。ブックレビューと生活雑感をシェアしたい

日本はずっと国を挙げた戦い方をしようとしてきた

»

日本の高度成長期やバブル経済について実感をもって知っている方は、現在の年齢が40代後半以降ではないでしょうか。1990年頃までに社会に出られた方なら40代後半になっているはずです。日本の人口の中央値(50%)は45歳ぐらいですから、日本の過去の栄光を経験した人たちの人口シェアがようやく半分以下になります。私もその一人ですが。

しかしその過去の栄光を知る人たちによって、日本の経済はいまだ過去のやり方で舵を取られようとしています。人口が減少トレンドに入り、高齢化がますます進む中にあって、国を挙げて豊かになろうという発想は、実現性の乏しい公約のようで無理を感じます。豊かになる方法を私たちはどこかで変えなくてはならなかったと思うのですが、それはいつだったのでしょうか。


戦前に作られた体制=1940年体制が戦後の成長を作った

野口悠紀雄氏の「戦後経済史」によれば日本の戦後の経済発展の基礎は1940年頃に構築され、体質的には現在まで続いてきています。1940年頃といえば戦前なので意外な感じもするのですが、国家総動員法が制定されて国家が太平洋戦争の準備を始めた頃です。戦争体制に入っていくために、大蔵省をはじめとするとエリート官僚が、産業を国家統制的に育てる体制をつくりあげました。野口氏はこれを「1940年体制」と呼び、戦後の高度成長に大きな貢献をもたらしたといっています。

戦後経済史.jpg
戦後経済史 私たちはどこで間違えたのか - 2015/5/29
野口悠紀雄(著)


ですから教科書に書かれた、「終戦後の日本はGHQの指導で復活した」という理解は間違いで、本当は戦前に構築された体制が戦後の繁栄を作りました。1940年体制では、銀行がすべての企業を資金面から支配します。戦後の焼け野原からの復活には、国民から集めた預金を特定の産業に注ぎ込むシステムが有効だったわけです。

賞味期限はバブル以前に切れていた

しかし1940体制は1980年頃には賞味期限を迎えました。1980年代といえばバブル経済を謳歌した時代ですが、バブルはあだ花ともいうべき最後のあがきになりました。このとき、日本の土地の時価総額が米国のそれの4倍にもなるという異常現象も起きました。バブルが起きたのは、一般的には過度の金融緩和が原因だったと言われていますが、本質はそこにはなく、1940年体制がもはや必要ではなくなっていたことが真因でした。「儲かりすぎる」のは、国の介入や保護が既に過度になっていたという証拠です。バブル経済は、1940年体制の賞味期限切れを示すことになりました。

1940年体制.png


しかしバブル真っ盛りの頃は、体制の賞味期限が切れていたにも関わらず、我々はそれを日本の好調さと勘違いしました。そしてバブルが崩壊した後もそれを反省することができず「失われた○○年」の延長記録を伸ばし続けてきました。1940年体制は再構築されることなく現在に続いています。

ここに来て日本のIT産業が国際的に見劣りするのも、1940年体制を引きずっているからです。端的にいえばIT産業は1940年体制に向かなかった産業と言えるのではないでしょうか。1940年体制は、産業を国家統制で伸ばしていくという点で社会主義的です。市場の裾野が著しく広いIT産業にとっては、加速装置として体制がレガシー過ぎたのではないかと思うのです。


国を挙げない戦い方ができないか

しかしながら、今もまだ安倍政権は成長戦略を掲げて1940年体制らしきことをやり続けようとしているように見えます。官僚が産業を仕分けし、手をかけて産業を育てるというやり方が通用しなくなっているにも関わらずまだ続けようとしています。野口氏も今の安倍政権は「戦後レジームに執着している」と言っています。これが安倍政権から仮に民主党政権に変わっても同じことです。彼らも同じようなことをすると予想するのは、きっと官僚が主導して戦略を決めようとするからです。

日本はこれから超高齢化社会をむかえます。高齢者を市場とする医療介護の生産性の低さを問題として残したまま、高齢者がどんどん増えていきます。エンジンの性能が進化しないのに、重荷だけがどんどん増えるのです。政府がいくら力強くリーダーシップをとるからといっても、政府のいうままに資源を使って解決を図ろうとすると、心中する羽目にあってしまうのではないでしょうか。

国が挙げてやろうとするのを冷めた目で見るのは、意識が低いと思われるかもしれませんが、そうではありません。心中を避けるために国を挙げない戦い方をすれば良いのです。

..

Comment(0)