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元証券アナリスト、前プロダクトマネージャー、既婚な現経営者が、日頃の思いをつづります。

王陽明の詩でも吟じてみる

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このところ読書をさぼってしまっていたので、反省、反省。

週末久しぶりに安岡正篤著の「人生と陽明学」を読み返してみた。今回「いいこと書いてあるな」と感心したところを、メモしておく。そう、私にとってブログは京大式カードのようなものなので。

(p.71) 王陽明が四十代の終わりに詠んだ詩からの抜粋。

用之則行舎即休(之を用ふれば即ち行き 舎つれば即ち休す)
此身浩蕩浮虚舟(此の身浩蕩 虚舟浮かぶ)

ご用があるなら行って働きましょう。なければ休まして貰おう。この身はあの縹渺たる流れの中に浮かぶ無人の舟の如きものである。達人は虚を以て世に遊ぶというが、虚心坦懐、なんの私利私欲も持たなければ、相手と衝突しても厄介なことにならぬ。胸に一物があるからいざこざが起こる。

(p.103) 佐藤一斎の「言志四録」から

人須く自ら省察すべし、天何の故に我が身を生み出したる。我をして、果たして何用に供せしむる。

...どんな人でも、必ずこれは絶対のもの、何億何十億居ったって、同じ顔をしたものは一人もいない。すべてが個性的存在・独自の存在であります。だから絶対に他にない、独自の意義・機能・使命というものがある。これだけは確実であって、ただそれを自覚し、活用することが難しいだけであります。

(p.145)

...われわれは、思考の上に三つの大きな原則を失ってはならないのであります。
 一つには、出来るだけ長い目で見て、目先にとらわれないということ。二つには、出来るだけ多面的に、或いは全面的に見て、一面にこだわらないということ。三つには、出来るだけ根本的に考察して、枝葉末節に走らないということ。

(p.226)

民族の第一義は精神である。




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