赤ペンで、文章を真っ赤に修正されて、何度も突っ返された日々の思い出
現在の私は、当ブログの他にも、会社の業務や、プライベートで、毎日のように実に様々な、大量の文書を書いています。
毎日、スラスラと文章を書いているように見えるかもしれませんが、最初の頃から書けた訳ではありません。
20代中頃の頃は、現在は既に鬼籍に入られた上司のM部長に徹底的に鍛えられました。
当時、社内で数十名規模の組織横断的タスクチームを運営しており、このプロジェクト・オフィスを担当していました。
25年ほど前でしたが、当時英語だった電子メールは必ずしも全社員は使っていませんでした。
そこで、伝達は紙のレターでした。
そのレターの発信者がM部長。
私が下書きをし、M部長のOKをもらって出す形になります。
英語だったり、日本語だったりしましたが、滅多に1回でOKはもらえませんでした。
「てにをは」の間違いだけではなく、「そもそも、何を言いたいのか分らない」「これでは、全く相手に伝わらない」「中身がない」との指摘ばかりでした。
赤ペンで真っ赤に修正されたレターのドラフトを、上司の指示通り修正して持っていくと、再修正です。
また修正して、ということを繰り返し、再々々々修正位で、やっとOKがもらえることは多かったように思います。
そのうち分ってきましたが、上司が言う通りではダメで、「ちゃんと自分で考えなさい」ということだったのですね。
こんなことを繰り返しましたが、1-2年後には、ほとんど修正されなくなりました。
数年後、20代後半頃に、他部門の部長から「永井さんのレターはstraightforwardですごく分りやすいけど、どこで勉強したの?」と言われたこともありました。
色々と考えるようになったことで、上達したのでしょうね。
1-2年間、忍耐強く突き合って下さったM部長には感謝です。
1回のレビューには30分くらいかかりました。
これを何回も行った訳で、恐らく、ご自分で書いた方がはるかに速かったでしょう。
だからと言って、当時は仕事がゆったりだったかというと、全くそんなことはなく、毎晩終電で帰り、朝は8時出社でした。
M部長の年齢に近づいた今、M部長にして下さったことと同じことが、当時の私のような立場の人達に出来ているのか?
自分は、同じ時間をかけられるか?
あるいは、同じ時間をかけたとして、それが今の若い人達に受け容れられるのか?
色々と考えます。
私の場合、コーチングを希望する若手には、出来るだけ他の仕事の優先順位を下げて、コーチングするように心掛けています。
しかし、あくまで私に直接コーチングを希望をしてきた人達に対してだけ、です。
よかれと思って言ったことで逆恨みされるケースもあったりしました。私の言い方が未熟なためですが、これはお互いに不幸です。
そこで、無理強いを避けたいこともあり、希望してこない人には、なるべく何も言わないようにしています。(上司と部下の関係ならば、また違うでしょうね)
今はM部長にとても感謝していますが、若く未熟だった当時の私は、何度も赤ペンで修正して突っ返す上司に対して、感謝しつつも、ときに真剣に怒ってしまうこともありました。
若手を育てるという意志と、そのような若者の反発をちゃんと受け止めるような度量が、シニアな立場の者が持っているかが、求められているのかもしれません。