大リーグ選抜から22奪三振したサチェル・ペイジ
サチェル・ペイジという投手をご存知ですか?
2500試合以上に登板、2000勝以上し完封勝利は350以上、ノーヒットノーラン55回、1930年には大リーグ選抜との交流戦で22奪三振完封勝利、という記録を持っています。
しかし、これらの記録は公式なものではありません。
実は、サチェル・ペイジは米国ニグロ・リーグの選手でした。
ベイ・ブルースの時代、大リーグには黒人選手の参加が許されておらず、黒人だけで構成されたニグロ・リーグというものがありました。その実力はメジャー以上だったそうです。
ニグロ・リーグで大活躍したサチェル・ペイジは、42歳で初めて大リーグに登板しその年に6勝、59歳まで現役だったとか。ただ、ニグロリーグの時代は大リーグのような公式記録が残っていなかったのが残念です。
何故、ニグロ・リーグがあったか、というと、米国の「分離平等政策」によるものです。英語では、"Separate, but equal."
1860年代に南北戦争で黒人奴隷は解放されたが、蔑視が続いていました。1950年代までは、交通機関や学校、レストランでは黒人と白人を分離していました。
今からは考えられないことですが、「平等だけど、分離する」という考えの下で、米国ではこのようなことが当たり前に行われていたのです。
昨年日本で公開された、レイ・チャールズの生涯を描いた映画"Ray"。映画の冒頭、シアトルに向かう17歳のレイ・チャールズを乗せたバスには、黒人専用の席がありました。これもこの「分離平等政策」によるものです。
この分離平等政策に対して、1954年のブラウン判決を機に公民権運動が盛り上がり、64年の公民権法制定により、法的側面からの人種差別が撤廃されました。
21世紀の現代に生きる我々は、「人間は平等である」というのは当たり前の考えである、と思っています。しかしこれが実現できたのは、ついこの数十年のことです。
当たり前のことが当たり前に出来ている、というのは、実は結構凄いことはのではないでしょうか?
状況は違いますが、マーケティングやビジネスでも根本的なところは同じではないかと思います。「それ、当たり前じゃん」と思えることを当たり前に行うことが、非常に難しいのです。
マーケティング戦略でも、「それは皆考えていることだけど、それが出来ないから大変なんだ」ということが多いのです。
マーケティング戦略で実行が大切、と言われているのも、この点にあるのではないかと思います。