香港の大疾走
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飛行場珍体験集
香港の大疾走
香港は忙しい都市だ。
今の新しい空港になる前は、バンコックほどではないにしても、けっこう渋滞していた。中でも香港島から海底トンネルを通って本土の香港空港まで行く道路は、時にどのくらい掛かるか予想もできないほど混んでいた。
香港で会議とプレゼンテーションがあって、4日ほど香港島のホテルに宿泊した。ベトナム人の実業家とその関係者合計3名と、私と東京からの出張者と、そして香港の事務所が参加して、数日間会議を開いた。
仕事は終わり、全員が満足していた。帰国の前日の夜、食事が終わった時点で、私は帰国日の空港までの足が気になったので、
「明日の土曜日、午後2時40分の飛行機でハノイに帰りますが、何時にホテルを出ればよいでしょうか」と、現地駐在員に尋ねると、
「それならバスに乗るのが一番早いでしょう。エアポートバスだったら、まず宿泊しているホテルの前から出発することと、バスの優先レーンを走れるので、結構早いのです。それと運賃も安いですから。土曜日の島から本土側への交通はけっこう混んでいますよ」
「じゃ、バスにしよう。何時に出発すれば良いだろうか」
「ホテルのチェックアウトと集合を12時ではどうですか」
「うーん、団体で活動すると遅れるから...11時半にしましょう」と、私は安全サイドを主張した。
空港にどのくらいの余裕を持って行くかで人の性格が分かるという。私は空港で出発1時間前に来て下さいと言われると、2時間前には間違いなく到着している。日本国内でも未だにその癖が直らない。
このようなこともあるし、集合時間を3時間前の11時半としておいた。
土曜日の朝11時、自分で言い出した早めの時間を自分が守れないなら、恥ずかしい。だから、急いで、荷物を作って、全荷物を転がしながら、チェックアウトに出かけた。
予想通り、全員の集合は30分ほど遅れた。結局は、出発したのは12時だった。東京から出張してきていた若い同僚に、
「どうだ。12時集合にしていたら、12時半出発になるものだよ。慣れというか、だてに年を食ってないだろう」と、自慢していた。Fホテルの横から、エアーバスに乗れた。17香港ドル。タクシーだと最低で50ドルはする。バスはしばらくは香港島の中を回り、そして海底トンネルの入り口まで、確かにバス優先レーンを走っている。
さすがに、海底トンネルの部分は、他の車両と一緒だが、確かにバスは早かった。そして、12時40分には、啓徳国際空港に近づいていた。
「空港税はいくらだっけ」と、バスの座席で私は同僚に尋ねた。
「50香港ドルです」
「そうか、現金を交換し...」と財布を探った。「アアッ、大変な事を思い出した」
「どうしたんですか」と若い同僚が振り返った。
「えらいことだ。現金とパスポートをホテルの金庫に預けたまま、忘れてきてしまった」
「ええっ、そ、それは大変です」
もう、バスは空港の入り口に入ってきている。私はバスの前部の荷物置場のところで、アタッシュケースを調べたが、やはりパスポートも現金も入っていない。
「おかねはいくら位ですか」
「約1000ドルほど」
「取りに帰らなくては、あるいはホテルに電話すれば、誰か持ってきてくれるだろうか。あるいは、バイクの相乗りのようなバイクタクシーはないだろうか」などと、独り言を言いながら、内心パニックになっていた。
(こりゃ、香港にもう一泊しなければならない可能性が出てきた。今、12時30分。タクシーで帰って50分。戻ってくるのに1時間半。2時を超す。だめだ。2時40分の飛行機じゃ、2時がどうしても限度だろう。出張ばかりしている商社マンの癖して、何という恥さらしだ。第一、こんな失敗は許されない。大目玉を食らうことになる。ましてや、明日以降の予定がびっしりだ。)
他の4人のメンバーに、
「大変な失敗をしてしまいました。実はパスポートをホテルに忘れてきてしまったのです。今から取りに帰ります。先にチェックインと通関を済ませておいて下さい。私の預け入れ荷物も、先に手続きを済ませておいて下さい」
他のメンバー全員が、
「オイ・ゾ・オイ(ベトナム語で『ああ、大変、困った、どうしよう』という意味)、そりゃ、大変だ。間に合うかな」と、心配の顔と『馬鹿だなあ。慌てるからだ』という、同情と呆れの混ざった顔をしている。
一刻の余裕もない。私はバスを降りたところで、今度はタクシーを道路の真ん中まで行って捕まえ、飛びのった。
「香港島のFホテルに行ってくれ。大至急だ」
「我不解、何処向汽車」
(あじゃ、英語がさっぱり分からない)
「Fホテル、Fホテル」
「我美語不解、何処也」
私は、さっきチェックアウトした時の、領収書のFホテルの住所、コンノート通りを見せたら、
「我了解」と、解ったような顔をして、のんびりと走り出したから、
「パスポートを、ホテルに忘れてきた。パスポートを忘れたのです」
「蛾艶嚇鞄竃憾?」
「いやー、これは解らん。パスポートだ。パスポート分からない。どもならんな」
「掬矯蕎醸鋤職?」
「分かった、とにかく早く行ってくれ」と、タクシーの運転手に手で人差し指をきつつきのように前方に何度も何度も振り出して、急げを出したら、ようやく主旨は理解してくれたようで、スピードが幾分上がった。
運転手は、無線のマイクを取り、センターに行き先を告げている。
「粋曝駁鳩櫨簸、粋曝駁鳩櫨簸、粋曝駁鳩櫨簸」
(著者註:文中の運転手の発音は全く無責任な漢字の羅列にすぎず、「よく分からない」を象徴しているだけです)
多分、自分の車の番号と行き先を連絡しているのだろう。ようし、そうだ、無線でホテルに連絡して、事前に金庫の扉を開けてもらおう。
「そのマイクを貸してくれ」
今度は運転手が露骨に戸惑いを見せた。多分運転している人以外は使用してはいけないルールだろう。僕は、後ろの座席から、体を乗り出して、無線機にぶら下がっているマイクを取り上げて、横のスイッチを押しながら、
「誰か、英語の分かる方は、英語の分かる方どうぞ」
「侮不蔑娩丼」と、運転手が、ボタンを押していたら、聞こえないよと手のひらを放すマネをした。そうだ、無線機だから、(こちら、何とか、どうぞ、英語なら、オーバーと言って、手を放すんだ)
「こちら、タクシーの乗客、どうぞ」
「掠漏痢厖厥厰」
「こちら、タクシーの乗客、どうぞ」
「燮勠墹墻夛嚏」
「英語の分かる人はいないのですか、どうぞ」
「嚶啝嚆囎囓壅」
もう、運転手が、「あきらめてマイクを返しなさいと、運転しながら、左手を自分の肩に載せて、私のマイクを返せと言っている。
「緊急事態です。ホテルにパスポートを忘れました、どうぞ」
「世区輪家理魔千。度尾増。奐彜彭?彎岫孛搴?插懿愆恤?」
運転手がマイクのコードを引っ張って、取り上げてしまった。その代わり、私が急いでいるのは分かったようで、タクシーはスピードを上げ出した。車は東京の首都低速道路のようなところを走っているが、一応車はスムーズに走っていて、「これなら」と、少し希望を感じ始めた。
海底トンネルの前には、ずらーと、車の長蛇。それをタクシーの運転手は右に左にと大活躍して、身振り手振りで、レーンを変えて、どんどん追い越して行ってくれる。
(ありがたい、こんなことでも、言語を超えた、言語を絶した国際協力が為されている。がんばって、ほら、もっと抜いてくれ)と祈る思いで、運転手さんの肩をポンポンと叩くと、国際共通表現で、
「魔家背手尾毛」(著者註:そのまま読めば、日本語の『まかせておけ』になる)理解できるジェスチャーである。
(ようし、行け、行け、どんどん行け)と、私は握っている手をどんどん振った)
私は、過去に「海外生活の危機管理」とか、「海外危険回避マニュアル」などを執筆して、パスポートの安全な保管を訴えているが、何という醜態。ああ、恥ずかしい。
これで、ホテルに戻って、もう絶対的に空港に戻る時間がなくなったら、後一日、香港の滞在を伸ばす必要がある。みんなに馬鹿にされるだろうなあと、胸がキュンとなりながら、タクシーの後部座席から体を前に乗り出して、運転手さんをアジっていた。
タクシーは、トンネルの中を走り出した。何とか、走っている。トンネルを出れば、島の中は大丈夫だろう。トンネルの中も、本当は車線の変更はできないのかもしれないが、この運転手さんは、どんどん、やってくれた。あたかも香港のポリスストーリーの映画の画面並みにちょっと劣る程度である。
こんな、走り方をしていたら、トンネルはすぐに突き抜けてしまい、香港島を走り出していた。
(ありがたい。これで、何とかなるだろう)車は中環駅の近くのFホテルの前に停止した。これが12時55分。何と20分で戻ってきた。すごい。
「戻ってきて、空港まで行くから、待ってくれ。金は一緒に払う」と、英語で言ったら、これは完璧に分かったようだ。そして、Fホテルのエスカレーターを走って登り、コンシェルジェのカウンターの男性のところに飛び込んで、
「171x号室にいた、樋口です。部屋の金庫にパスポートと、現金を忘れてしまった。部屋を開けて欲しい。パスポートは見れば、私だと分かるはずです」
「はい、分かりました」と、パソコンを叩いて、さっきチェックアウトしたのが、『樋口』で、まだ次の人がチェックインしていないのを確かめるや、コンピューターを操作して、カードキーを作成し、そのカウンターの男性がそのまま、私と一緒にエレベーターホールに向かって走り出した。
(ありがたい。この人は私の緊急度を知ってくれている)
部屋のドアを開けて、金庫の暗証番号を入れて、開けたら、
「有った」、ちゃんと私のパスポートと現金が入っていた。私に渡す前に、ホテルの係員はちゃんとパスポートの写真と本人である私を見て確認していた。えらい。
私とそのカウンターの係員は、急いで下りのエレベーターに乗った。
「今、下にタクシーを待たせているのですが、タクシーで空港まで帰るとどのくらい時間が掛かりますか」
「飛行機が2時40分で、今、1時ですから、普通に走って40分掛かります。だから、混んでいると、2時近くになってしまうでしょう。一番早いのは、地下鉄です。地下鉄で『尖沙咀』(チム・シャー・ツイ)まで行って、そこからタクシーに乗りなさい。それが一番です。それでないと間に合いませんよ。チェックインゲートは2時には閉まるでしょう」
「なるほど、それじゃ、待たせてあるタクシーの運転手に説明してもらえませんか。それと、私は今、米国ドルしか持たないので、いくら運賃を払えば良いかを教えてください。運転手にお礼の分も払いたいのです」
「分かりました。話しましょう」と、彼は、タクシーの運転手と交渉し、タクシーの運転手は米国ドルを受け取るのを嫌がった。私が百米ドル札しか所持していなかったので、彼はカウンターに走って戻り、香港ドルを持ってきて、交換し、タクシーに支払い、すべて終わらせてくれた。早い、早い。
それから、彼は何と、地下鉄の切符売り場まで、一緒に来て、切符の買い方、どの線の電車に乗れば良いかを指示してくれた。これで、1時ちょうどだった。最後に彼に、
「あなたの名刺を下さい」と、頼んだ。彼の名前はファンさんだ
電車で行くと、たった2つ目の駅が『尖沙咀』である。そこを降りて、1時10分。走って地上に出て、タクシーを止めた。乗り込んだまでは、良いが、このタクシーの運転手が『エアポート』という言葉が分からない。飛行機のマネをすると、鳥か何かと間違えているようだ。どっちに行ってよいのか困っている。
(そうだ筆談が良い)
胸のポケットから、ペンで、『飛行機場』と書くと、
「ああ、分かった」という顔をして、両手をハンドルから離して、飛行機の真似をした。
(あんたの飛行機の真似と、私のとどう違う、同じだよ)と思ったが、「そう、そう、行け、行け」と、再び拳を振っている私だった。
この『尖沙咀』から、空港まで、まさに10分だった。だから、空港に到着したのは、1時35分だった。まさに1時間で、九龍側と香港島を往復したのだった。
急いで、チェックインを済ませ、やはり長い列を作っているパスポートコントロールを通過して、出発ロビーの中に入ると、1時53分。
もう、こうなれば、大丈夫。土産のチョコレートを買う余裕まで出てきた。今回のトラブルの原因は全く私が阿呆だからだ。不注意だったからだが、その後の対応と協力が最高だった。名も知らないタクシーの運転手さん、2人も言語の壁を乗り越えて、疾走してくれた。何と言っても、Fホテルのファンさんには感謝だ。
(帰国したら、明日でも、Fホテル宛に礼状を書こう。ファンさんの機転のお陰だ)
出発を30分前にセットしておいて、本当に良かった。何が起こるか分からない。これがあるからなあ...、と疲れきった状態で、ベトナム航空に乗り込んで行った。
何よりもうれしかったのは、私と同行していた、ベトナム人の実業家のトップが、
「あなたは、幸運の人だ。だから一緒にビジネスをしたい」と、笑いながら言ってくれたことだった。
教訓 慌てちゃいかん。しかし、のんびりしていてもいかん。
香港の大疾走
香港は忙しい都市だ。
今の新しい空港になる前は、バンコックほどではないにしても、けっこう渋滞していた。中でも香港島から海底トンネルを通って本土の香港空港まで行く道路は、時にどのくらい掛かるか予想もできないほど混んでいた。
香港で会議とプレゼンテーションがあって、4日ほど香港島のホテルに宿泊した。ベトナム人の実業家とその関係者合計3名と、私と東京からの出張者と、そして香港の事務所が参加して、数日間会議を開いた。
仕事は終わり、全員が満足していた。帰国の前日の夜、食事が終わった時点で、私は帰国日の空港までの足が気になったので、
「明日の土曜日、午後2時40分の飛行機でハノイに帰りますが、何時にホテルを出ればよいでしょうか」と、現地駐在員に尋ねると、
「それならバスに乗るのが一番早いでしょう。エアポートバスだったら、まず宿泊しているホテルの前から出発することと、バスの優先レーンを走れるので、結構早いのです。それと運賃も安いですから。土曜日の島から本土側への交通はけっこう混んでいますよ」
「じゃ、バスにしよう。何時に出発すれば良いだろうか」
「ホテルのチェックアウトと集合を12時ではどうですか」
「うーん、団体で活動すると遅れるから...11時半にしましょう」と、私は安全サイドを主張した。
空港にどのくらいの余裕を持って行くかで人の性格が分かるという。私は空港で出発1時間前に来て下さいと言われると、2時間前には間違いなく到着している。日本国内でも未だにその癖が直らない。
このようなこともあるし、集合時間を3時間前の11時半としておいた。
土曜日の朝11時、自分で言い出した早めの時間を自分が守れないなら、恥ずかしい。だから、急いで、荷物を作って、全荷物を転がしながら、チェックアウトに出かけた。
予想通り、全員の集合は30分ほど遅れた。結局は、出発したのは12時だった。東京から出張してきていた若い同僚に、
「どうだ。12時集合にしていたら、12時半出発になるものだよ。慣れというか、だてに年を食ってないだろう」と、自慢していた。Fホテルの横から、エアーバスに乗れた。17香港ドル。タクシーだと最低で50ドルはする。バスはしばらくは香港島の中を回り、そして海底トンネルの入り口まで、確かにバス優先レーンを走っている。
さすがに、海底トンネルの部分は、他の車両と一緒だが、確かにバスは早かった。そして、12時40分には、啓徳国際空港に近づいていた。
「空港税はいくらだっけ」と、バスの座席で私は同僚に尋ねた。
「50香港ドルです」
「そうか、現金を交換し...」と財布を探った。「アアッ、大変な事を思い出した」
「どうしたんですか」と若い同僚が振り返った。
「えらいことだ。現金とパスポートをホテルの金庫に預けたまま、忘れてきてしまった」
「ええっ、そ、それは大変です」
もう、バスは空港の入り口に入ってきている。私はバスの前部の荷物置場のところで、アタッシュケースを調べたが、やはりパスポートも現金も入っていない。
「おかねはいくら位ですか」
「約1000ドルほど」
「取りに帰らなくては、あるいはホテルに電話すれば、誰か持ってきてくれるだろうか。あるいは、バイクの相乗りのようなバイクタクシーはないだろうか」などと、独り言を言いながら、内心パニックになっていた。
(こりゃ、香港にもう一泊しなければならない可能性が出てきた。今、12時30分。タクシーで帰って50分。戻ってくるのに1時間半。2時を超す。だめだ。2時40分の飛行機じゃ、2時がどうしても限度だろう。出張ばかりしている商社マンの癖して、何という恥さらしだ。第一、こんな失敗は許されない。大目玉を食らうことになる。ましてや、明日以降の予定がびっしりだ。)
他の4人のメンバーに、
「大変な失敗をしてしまいました。実はパスポートをホテルに忘れてきてしまったのです。今から取りに帰ります。先にチェックインと通関を済ませておいて下さい。私の預け入れ荷物も、先に手続きを済ませておいて下さい」
他のメンバー全員が、
「オイ・ゾ・オイ(ベトナム語で『ああ、大変、困った、どうしよう』という意味)、そりゃ、大変だ。間に合うかな」と、心配の顔と『馬鹿だなあ。慌てるからだ』という、同情と呆れの混ざった顔をしている。
一刻の余裕もない。私はバスを降りたところで、今度はタクシーを道路の真ん中まで行って捕まえ、飛びのった。
「香港島のFホテルに行ってくれ。大至急だ」
「我不解、何処向汽車」
(あじゃ、英語がさっぱり分からない)
「Fホテル、Fホテル」
「我美語不解、何処也」
私は、さっきチェックアウトした時の、領収書のFホテルの住所、コンノート通りを見せたら、
「我了解」と、解ったような顔をして、のんびりと走り出したから、
「パスポートを、ホテルに忘れてきた。パスポートを忘れたのです」
「蛾艶嚇鞄竃憾?」
「いやー、これは解らん。パスポートだ。パスポート分からない。どもならんな」
「掬矯蕎醸鋤職?」
「分かった、とにかく早く行ってくれ」と、タクシーの運転手に手で人差し指をきつつきのように前方に何度も何度も振り出して、急げを出したら、ようやく主旨は理解してくれたようで、スピードが幾分上がった。
運転手は、無線のマイクを取り、センターに行き先を告げている。
「粋曝駁鳩櫨簸、粋曝駁鳩櫨簸、粋曝駁鳩櫨簸」
(著者註:文中の運転手の発音は全く無責任な漢字の羅列にすぎず、「よく分からない」を象徴しているだけです)
多分、自分の車の番号と行き先を連絡しているのだろう。ようし、そうだ、無線でホテルに連絡して、事前に金庫の扉を開けてもらおう。
「そのマイクを貸してくれ」
今度は運転手が露骨に戸惑いを見せた。多分運転している人以外は使用してはいけないルールだろう。僕は、後ろの座席から、体を乗り出して、無線機にぶら下がっているマイクを取り上げて、横のスイッチを押しながら、
「誰か、英語の分かる方は、英語の分かる方どうぞ」
「侮不蔑娩丼」と、運転手が、ボタンを押していたら、聞こえないよと手のひらを放すマネをした。そうだ、無線機だから、(こちら、何とか、どうぞ、英語なら、オーバーと言って、手を放すんだ)
「こちら、タクシーの乗客、どうぞ」
「掠漏痢厖厥厰」
「こちら、タクシーの乗客、どうぞ」
「燮勠墹墻夛嚏」
「英語の分かる人はいないのですか、どうぞ」
「嚶啝嚆囎囓壅」
もう、運転手が、「あきらめてマイクを返しなさいと、運転しながら、左手を自分の肩に載せて、私のマイクを返せと言っている。
「緊急事態です。ホテルにパスポートを忘れました、どうぞ」
「世区輪家理魔千。度尾増。奐彜彭?彎岫孛搴?插懿愆恤?」
運転手がマイクのコードを引っ張って、取り上げてしまった。その代わり、私が急いでいるのは分かったようで、タクシーはスピードを上げ出した。車は東京の首都低速道路のようなところを走っているが、一応車はスムーズに走っていて、「これなら」と、少し希望を感じ始めた。
海底トンネルの前には、ずらーと、車の長蛇。それをタクシーの運転手は右に左にと大活躍して、身振り手振りで、レーンを変えて、どんどん追い越して行ってくれる。
(ありがたい、こんなことでも、言語を超えた、言語を絶した国際協力が為されている。がんばって、ほら、もっと抜いてくれ)と祈る思いで、運転手さんの肩をポンポンと叩くと、国際共通表現で、
「魔家背手尾毛」(著者註:そのまま読めば、日本語の『まかせておけ』になる)理解できるジェスチャーである。
(ようし、行け、行け、どんどん行け)と、私は握っている手をどんどん振った)
私は、過去に「海外生活の危機管理」とか、「海外危険回避マニュアル」などを執筆して、パスポートの安全な保管を訴えているが、何という醜態。ああ、恥ずかしい。
これで、ホテルに戻って、もう絶対的に空港に戻る時間がなくなったら、後一日、香港の滞在を伸ばす必要がある。みんなに馬鹿にされるだろうなあと、胸がキュンとなりながら、タクシーの後部座席から体を前に乗り出して、運転手さんをアジっていた。
タクシーは、トンネルの中を走り出した。何とか、走っている。トンネルを出れば、島の中は大丈夫だろう。トンネルの中も、本当は車線の変更はできないのかもしれないが、この運転手さんは、どんどん、やってくれた。あたかも香港のポリスストーリーの映画の画面並みにちょっと劣る程度である。
こんな、走り方をしていたら、トンネルはすぐに突き抜けてしまい、香港島を走り出していた。
(ありがたい。これで、何とかなるだろう)車は中環駅の近くのFホテルの前に停止した。これが12時55分。何と20分で戻ってきた。すごい。
「戻ってきて、空港まで行くから、待ってくれ。金は一緒に払う」と、英語で言ったら、これは完璧に分かったようだ。そして、Fホテルのエスカレーターを走って登り、コンシェルジェのカウンターの男性のところに飛び込んで、
「171x号室にいた、樋口です。部屋の金庫にパスポートと、現金を忘れてしまった。部屋を開けて欲しい。パスポートは見れば、私だと分かるはずです」
「はい、分かりました」と、パソコンを叩いて、さっきチェックアウトしたのが、『樋口』で、まだ次の人がチェックインしていないのを確かめるや、コンピューターを操作して、カードキーを作成し、そのカウンターの男性がそのまま、私と一緒にエレベーターホールに向かって走り出した。
(ありがたい。この人は私の緊急度を知ってくれている)
部屋のドアを開けて、金庫の暗証番号を入れて、開けたら、
「有った」、ちゃんと私のパスポートと現金が入っていた。私に渡す前に、ホテルの係員はちゃんとパスポートの写真と本人である私を見て確認していた。えらい。
私とそのカウンターの係員は、急いで下りのエレベーターに乗った。
「今、下にタクシーを待たせているのですが、タクシーで空港まで帰るとどのくらい時間が掛かりますか」
「飛行機が2時40分で、今、1時ですから、普通に走って40分掛かります。だから、混んでいると、2時近くになってしまうでしょう。一番早いのは、地下鉄です。地下鉄で『尖沙咀』(チム・シャー・ツイ)まで行って、そこからタクシーに乗りなさい。それが一番です。それでないと間に合いませんよ。チェックインゲートは2時には閉まるでしょう」
「なるほど、それじゃ、待たせてあるタクシーの運転手に説明してもらえませんか。それと、私は今、米国ドルしか持たないので、いくら運賃を払えば良いかを教えてください。運転手にお礼の分も払いたいのです」
「分かりました。話しましょう」と、彼は、タクシーの運転手と交渉し、タクシーの運転手は米国ドルを受け取るのを嫌がった。私が百米ドル札しか所持していなかったので、彼はカウンターに走って戻り、香港ドルを持ってきて、交換し、タクシーに支払い、すべて終わらせてくれた。早い、早い。
それから、彼は何と、地下鉄の切符売り場まで、一緒に来て、切符の買い方、どの線の電車に乗れば良いかを指示してくれた。これで、1時ちょうどだった。最後に彼に、
「あなたの名刺を下さい」と、頼んだ。彼の名前はファンさんだ
電車で行くと、たった2つ目の駅が『尖沙咀』である。そこを降りて、1時10分。走って地上に出て、タクシーを止めた。乗り込んだまでは、良いが、このタクシーの運転手が『エアポート』という言葉が分からない。飛行機のマネをすると、鳥か何かと間違えているようだ。どっちに行ってよいのか困っている。
(そうだ筆談が良い)
胸のポケットから、ペンで、『飛行機場』と書くと、
「ああ、分かった」という顔をして、両手をハンドルから離して、飛行機の真似をした。
(あんたの飛行機の真似と、私のとどう違う、同じだよ)と思ったが、「そう、そう、行け、行け」と、再び拳を振っている私だった。
この『尖沙咀』から、空港まで、まさに10分だった。だから、空港に到着したのは、1時35分だった。まさに1時間で、九龍側と香港島を往復したのだった。
急いで、チェックインを済ませ、やはり長い列を作っているパスポートコントロールを通過して、出発ロビーの中に入ると、1時53分。
もう、こうなれば、大丈夫。土産のチョコレートを買う余裕まで出てきた。今回のトラブルの原因は全く私が阿呆だからだ。不注意だったからだが、その後の対応と協力が最高だった。名も知らないタクシーの運転手さん、2人も言語の壁を乗り越えて、疾走してくれた。何と言っても、Fホテルのファンさんには感謝だ。
(帰国したら、明日でも、Fホテル宛に礼状を書こう。ファンさんの機転のお陰だ)
出発を30分前にセットしておいて、本当に良かった。何が起こるか分からない。これがあるからなあ...、と疲れきった状態で、ベトナム航空に乗り込んで行った。
何よりもうれしかったのは、私と同行していた、ベトナム人の実業家のトップが、
「あなたは、幸運の人だ。だから一緒にビジネスをしたい」と、笑いながら言ってくれたことだった。
教訓 慌てちゃいかん。しかし、のんびりしていてもいかん。
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