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商社マンの営業として33年間(うち海外生活21年間)、国内外で様々な体験をした。更に、アイデアマラソンのノートには、思いつきを書き続けて27年間、読者の参考になるエピソードや体験がたくさんある。今まで3年半、ITmediaのビジネスコラム「樋口健夫の笑うアイデア動かす発想」で毎週コラムを書き続けてきたが、私の体験や発想をさらに広く提供することが読者の参考になるはずと思い、ブログを開設することにした。一読されれば「読むワクチン」として、効果があるだろう。

スイス航空のスチュワーデスの話

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飛行機搭乗珍体験集
スイス航空のスチュワーデスの話

 私が乗った飛行機の中で、もっとも素晴らしかった、そして印象的だったのは、昔のスイス航空(Swissair)だった。(注:この話は、今のスイスインターナショナルエアラインズの事ではない)

 スイス航空は1990年以前は、堅実な経営の航空会社で、機内の食事も、サービスも素晴らしかったが、拡大政策で、サベナ航空やフランスの航空会社を吸収して、無理な投資の拡大の結果、業績が悪化して、2001年の911事件の同時多発テロ事件の後、2002年に倒産してしまった。

 私の最も印象的なフライトは、1983年、仕事の帰途、チューリッヒからバンコクまで、いわゆる南周りの路線をスイス航空で旅した時だ。すでに倒産した航空会社のことだから書いてもよいだろう。(くれぐれも、誤解のないようにいっておく。今のスイスインターナショナルエアラインズではない)

 ボーイング747ジャンボのビジネスクラスであったが、搭乗して驚いた。ビジネスクラスの乗客は私一人、エコノミーに2名ほどのお客が乗っていた。ジャンボにたった3人の乗客。それに10名近い美人のスチュワーデスたちが搭乗していた。制服もたしかブルー系統できれいだったと思う。

 チューリッヒからまずギリシャのアテネに立ち寄り、アテネからパキスタンのカラチへ、そしてバンコクへ向かう。バンコクで仕事があったから、このフライトに乗ったが、日本に直行なら当時ならモスクワ経由だったかもしれない。

 スチュワーデスの一人は日本人だった。
「お仕事でのご旅行ですか」と、声を掛けてきた。
「はい。こんなガラガラのフライトは初めてですが、これでは採算が取れないでしょう」
「大丈夫です。もどりの便は、満員だということです。行かないと、運べませんから」
「そりゃ、そうですね」
彼女は、笑顔とともに、
「何かご用事があれば、私に言ってください」
「ありがとう」
「食事も、お好きなときに言ってください。飲み物もいつでも構いません」
 結局、チューリヒからバンコクまでの間、彼女が食事も飲み物もすべて面倒を見てくれた。食事をしながら、ワインを飲みながら、彼女と話し始めた。

「スチュワーデスの仕事をされていて、珍しい話、怖い話はありますか」と尋ねた。
「そうですね...、一つ、思い出しました」と、彼女は話し始めた。
 彼女と同期の日本人のスチュワーデスの一人の話だった。

「そのスチュワーデスは、乗務を開始して、3ヶ月目のころです。この南周りのフライトの最中、機内でお客の一人が亡くなっているのを、彼女が発見したのです。お客は心筋梗塞か何かで、周りも知らなかったらしく。彼女が発見したことになりました。

 次に飛行機が到着した空港で、その乗客は降ろされ、彼女も第一発見者として、警察の取り調べに立ち会う必要があったので何日か滞在したそうです。
 彼女は、かなりのショックを受けていましたが、その後、勤務に戻りました。

 それから半年ほどして、再びまったく違う路線で、彼女がまた突然死したお客を発見したのです。
 またまた、彼女は、当局に報告することで、途中で降りざるを得ませんでした。こんなことは、滅多にありません。私もそんな体験はありません。それが2回も短期間に体験するなんて、考えられないことです。
 
 社内でもその噂でもちきりで、彼女が気の毒だということでした。彼女はものすごいショックを受けたのですが、みんなに励まされて、しばらくして、勤務に戻りました。

 それから1年ほど、とうとう3人目の乗客の死亡を発見してしまって、彼女は退職したそうです。
 すごく印象的なフライトだった。もう数時間でバンコクに到着する。

教訓 列車も飛行機も空いているのが最高。長期のフライトでは、必ず運動をすることを心がけている。エコノミック症候群は本当に怖い。

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