オルタナティブ・ブログ > キャピタリストの視点 >

ベンチャー企業の成長について、現場で思うこと

楽隠居する企業の役割

»

成長だけが企業の使命ではないことに、そろそろ気づくべきかも知れません。

企業の「成長という幻想」

もう産業としては成熟産業なのだから、「成長、成長」とあせらなくてもいいんじゃない?少し前までは、団塊の世代がたくさんいて、どうやってその人たちを食わせるかということで苦労していた伝統的大企業も、彼らが卒業してもう手を離れた(完全にそういうことでもないのだが、一応・・・)のだから、もう楽隠居して、企業の寿命が尽きるまで、安定したキャッシュカウになったらいいんじゃない?
終身雇用で就職した団塊世代に対する負担が軽減したのに、無理やりの成長戦略が不要になっていることに気づいていない企業はたくさんあるようです。
隠居フェーズの産業は、どんどん統合して競争を減らし、安定してはいってくるキャッシュは、投資家へのお小遣い(配当)や、若い産業への教育投資(ベンチャー投資)などにまわせばいい。自前で無理やり、体に合わない新しいことをやろうとする必要はないんじゃないか。また、政府やマスコミも、なんでもかんでも「競争、競争」といわなくてもいいんじゃないか。
隠居しても社会に果たす役割はいろいろとあると思います。社会全体が起業や競争ばかりしていては、豊かなのに殺伐とした社会にしかなりません。
学習障害の子供だとか、もっと深刻な障害児へのケアなどが、日本はアメリカより全然貧弱なので、そういうことをやる、とかどうだろう。政府の仕組みでできないことを、企業や裕福な個人がもっと堂々とできるようになれば、こうした社会事業ももっと機動的にできるだろう。
CSRという捉え方でもいいので、弱者に対する分配に貢献することがもっと進んでいけばいいと思います。
「企業は成長しなきゃいかん」というのは、幻想だ。みんながみんな、成長する必要はない。企業も産業もいろいろ。むりやり延命するより、若い芽が出てくるのを育てるような仕組みに変えていくほうがいいと思う。
一億総XXみたいな全員同じということではなく、それぞれが役割を果たすことで、本当に豊かな社会が実現されていくのだと思います。
Comment(0)