バックアップの利かない作業をどこまで許すか
作業管理をしていると、「属人化」した作業に時々出会う。
ある特定個人の能力者にしかできない。
作業途中であり、途中経過を知り、途中成果物を所有する人にしか、続きができない。
ある特定個人の「自己流」手順で作業している。
等々、バックアップが利かない作業がある。
特定の能力者でないとできない仕事はまあ、諦めもつく。
でも、途中経過がわからないからバックアップできないのは、ちと悔しい。
「自己流」ゆえにバックアップできない場合は、さらに悔しい(苦笑)。
理想をいえば、作業はバックアップが利く態勢であってほしい。その人(作業主幹)だって、わざと属人化しているわけでもないだろう、しかし不慮の事態になって、その人が当日作業できない場合、バックアップが利かないと、その日は進捗しようがない。もしその作業がクリティカルパスになっていたら大事だ。
最悪の場合は、途中経過や成果物を無視して、イチからやり直すことだってありえる。自己流をより「標準的な」手順に設計しなおしてイチからやり直すことだってありえる。
ただ、私は、バックアップの利かない状態を、非難はしない。状況によってはしょうがないし、その作業がバックアップは利くのか利かないのかを管理者が知っていればいいのだと思う。もしバックアップしないといけなくなったら、そのときは「非常事態」「交通事故」だと思えばいい。大事なのはバックアップできない作業であることを作業主幹も認知していればいいのだ。責任もって作業完了まで推し進めてくれればいいので。
ただし、そのような作業においては、バックアップをしなければならなくなったときにどのくらい労力がかかるかをコンティンジェンシープランみたいに考えておくだけではなく、作業主幹には期待納期と期待品質を十分コミットさせることが大事なのだ。
属人化を推奨するつもりはない。が、実際プロジェクトマネジメントを支援していると、属人化した作業のなんと多いことか。それにめげてる場合じゃないってことだ。