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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

言葉は良くも悪くも栄養素。

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時々、辞書のように、あるページだけ開き、確認してしまう本の一つに、小池龍之介さんの『「自由」から自由になる沈黙入門』(幻冬舎)があります。小池さんは、東大出身のお坊さん、としても有名な方です。

以前、もう一本のブログでも書いた話なのですが、あまり読まれていないブログので(笑)、遠慮なく、ここでも書いてしまいます。

この本の中に「聞きたくないような悪口やツマラナイ話」は聞かなくていいよ、という一節が出てきます。以下、引用します。

======(P.18-19より)======

誰かの話を「聞く」のは、その声や言葉が自分の中を通ってゆくことなので、精神の「食事」とも申せます。

ツマラナイ話や、他人の悪口を延々と聞かされる状態は、それはもう、不味い料理を食べ続けているようなもの。そうやって悪い栄養を受け取ってしまうと、それをどう処理するかが面倒なことになります。

<略>

何かに対する「イヤダナァ」という感じは、そのときだけの感情では終わらず。負の感情は種になって積もり積もり、どこかのタイミングで必ず芽を出します。

======引用終わり=====

これは、他者の「あまりよろしくない言葉」を耳にするだけでも、自分の中にいろいろとよろしくないものが蓄積しますよ、と説いている部分ですが、自分自身にも当てはまることだと思うのですね。

他者の言葉がそれだけ影響するなら、自分が発した言葉などは、真っ先に自分の耳に入って来るわけですし、耳に入る前に脳内で言語に変換している過程からすでに自分の言葉を自分が一番味わうことになる。

それがよい言葉であれば、とてもよい「栄養」になるのでしょうし、悪い言葉であれば、よろしくない「栄養」となるのでしょう。
それぞれの蓄積の結果には、大きな差が生まれるのは想像にかたくありません。

仕事でも、何でも楽しそうに話す人と愚痴っぽい人がいます。
私も以前は、どちらかというと、愚痴っぽい人でしたが、それでは何も解決しないし、前進しないと気づき(教えられもし)、大きく改心した時期がありました。

小池さんが書いているように、言葉が全身を通り過ぎる栄養分と同じだとするなら、他者に悪い栄養分を与えることはもとより、自分が悪い栄養分を自分の言葉によって摂取することはできるだけ避けたいことです。

だから、自分が発する言葉はできるだけ、楽しいもの、わくわくするものにしたいと思いますし、周囲にある愚痴だとかネガティブな言葉からは身を遠ざけたいと考えているのです。

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