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ソフトウェア製品開発現場の視点

想定外に弱い社会

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近年、いろいろな場面で想定外という言葉が使われることが多くなったように感じます。想定外という言葉を使う背景には何があるのでしょうか? 想定外という言葉が使われる理由のひとつは、想定外だから適切な対応ができなくてしかたがないという言い訳だと思います。確かに想定外のことが起こったら対処できないというのは、論理的に正しいように見えます。しかし、想定外のことが起きても、対応はできることもあるのです。これは、全く同じトラブルに見舞われても、トラブルに対処できる人と対処できない人がいることからもわかります。

想定外のことが起きた時に対応できるようになるための一番簡単は方法は、経験を積むことです。すなわち、これまでどれだけ想定外を経験してきたかということです。そして残念ながら、日本は想定外の経験を積むことが非常にできにくい社会です。想定外を経験することの最大の価値は、その想定外の事象は、次に同じ状況になったときには、想定内になっているということです。

海外では、想定外の経験をたくさん積むことができます。飛行機で預けた荷物が出てこないなど、日常茶飯事です。ホテルで火災報知器が鳴って避難したという話もときどき聞きます(日本では聞いたことはありません)。そういったトラブルにあった人は、当然不満を言う訳ですが、本当はそう言った経験を積むことで許容範囲を広げることができたと感謝した方が良いと思います。

今年の計画停電は、非常に困った方々も多いと思いますが、結果として多くの人の想定外のエリアを狭めて、停電は想定内での対処ができるようになったと思います。今後、何か別の要因で停電が発生しても、これまでよりも冷静に対処することができることでしょう。

日本は、継続して完璧な社会を目指してきて、完璧度は今も上がっていると思いますが、それによって脆弱な社会を作ってしまいました。これが進むと完璧なこと以外は想定外の社会になってしまいそうです。完璧でないことも想定内で、対応できる社会という方向性があっても良いように感じています。

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