ソフトウェア製品開発現場の視点

想定外に弱い社会

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近年、いろいろな場面で想定外という言葉が使われることが多くなったように感じます。想定外という言葉を使う背景には何があるのでしょうか? 想定外という言葉が使われる理由のひとつは、想定外だから適切な対応ができなくてしかたがないという言い訳だと思います。確かに想定外のことが起こったら対処できないというのは、論理的に正しいように見えます。しかし、想定外のことが起きても、対応はできることもあるのです。これは、全く同じトラブルに見舞われても、トラブルに対処できる人と対処できない人がいることからもわかります。

想定外のことが起きた時に対応できるようになるための一番簡単は方法は、経験を積むことです。すなわち、これまでどれだけ想定外を経験してきたかということです。そして残念ながら、日本は想定外の経験を積むことが非常にできにくい社会です。想定外を経験することの最大の価値は、その想定外の事象は、次に同じ状況になったときには、想定内になっているということです。

海外では、想定外の経験をたくさん積むことができます。飛行機で預けた荷物が出てこないなど、日常茶飯事です。ホテルで火災報知器が鳴って避難したという話もときどき聞きます(日本では聞いたことはありません)。そういったトラブルにあった人は、当然不満を言う訳ですが、本当はそう言った経験を積むことで許容範囲を広げることができたと感謝した方が良いと思います。

今年の計画停電は、非常に困った方々も多いと思いますが、結果として多くの人の想定外のエリアを狭めて、停電は想定内での対処ができるようになったと思います。今後、何か別の要因で停電が発生しても、これまでよりも冷静に対処することができることでしょう。

日本は、継続して完璧な社会を目指してきて、完璧度は今も上がっていると思いますが、それによって脆弱な社会を作ってしまいました。これが進むと完璧なこと以外は想定外の社会になってしまいそうです。完璧でないことも想定内で、対応できる社会という方向性があっても良いように感じています。

Comment(4)

コメント

藤田 剛

地震は明日来るとかは分からないけど、日本人だったら誰でもいつ巨大地震が来ても不思議ではないと思っていると思う。だからあれを想定外というのはおかしいと私は思う。原発関係者の明らかな責任逃れ。防災関係の人も言ってたけど、それも同じだ。というより、「『想定外」が起こる事を想定していない。」のが、ダメダメな所で、勝手に線を引っ張って、これ以上の事は想定しないので、対策もしてないから、想定外が起きると壊滅的な事態に至るというのが、そもそも技術の思想として、なっていない。ちょっと壊れても、全体が壊れないシステム設計にして欲しい。(竹内さんが言っているのも同じ事だと思うけど。)原発にはそういう面で、非常に失望した。根本的にやり直してもらうか、全廃しかないと、私は思う。

Katsushi Takeuchi

藤田さん、コメントありがとうございます。私の考えを補足していただいてありがとうございます。まったくその通りだと思います。

日本人は、想定外のことを想定することを良しとしないと聞いたことがあります。たとえば絶対に危険なレベルの放射能は漏れないと説明しているのですから、漏れた時に被害を最小限にするという議論はできないということですね。

ardbeg32

竹内様の仰る、「想定外のことを想定することを良しとしない」というのはよくわかります。旧軍の作戦を見ると顕著です。しかしそれは作戦なり設計なり社会システムなりを決める責任者だけの悪弊ではなさそうです。
例えば自動車では、スペアタイヤの存在自体知らないユーザーもいれば、そもそもJAF乃至それに相当するものに加入していない方もいるわけで。その一般人の言い草が「パンクや故障などするのは想定外」
確かに竹内様が仰った内部の問題もよくみられます。特に今回は歴史上想定以上の津波が来た証拠もあったわけですし。
しかし、普段は想定以上のリスクに対するマネジメント費には反対するのに、事故事件が起こった時だけ無責任に多大な費用を要する対策を無邪気にしたり顔で要求するユーザーの存在も、ご都合主義で決める想定を生み出す原因の一つではないかと考えます。
またこのユーザーってやつが、喉元過ぎれば熱さ忘れるというやつで、高さ20mの防波堤をン十年後に「無用の長物」と嘲るんですよね。
そんなユーザーに囲まれて、想定外の事態に陥った時のリスクマネジメントなどまともに検討できるか?果てしなく疑問に感じます。まあそれが日本人の特性なんでしょう。

Katsushi Takeuchi

ardbeg32 さん、コメントありがとうございます。

ユーザーの問題もあるというご指摘、その通りだと思います。自己責任でリスクを判断できるユーザーか、それができないユーザーかによって対応は変わってきますが、多くの場合、日本では「自己責任で判断できないユーザ」を前提にしているように思えます。そのことが、さらに「自己責任で判断できないユーザ」を増やすことにつながっているのでしょう。

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