出産後24時間で退院させられるアメリカ型出産体験(4)
★アメリカお産、シリーズものの続きです。前の話はこちらのリンクからどうぞ(1) (2) (3)。
1995年6月21日午前10時くらいです。お産が終わってから約30時間が経過しました。いよいよ退院です。退院の手続きを終え、新生児を抱えて車へとそろりそろりと向かいます。さすがにゆっくりとしか歩けませんが、妻はなんとか自分で歩いてきます。
車に乗るときには新生児はベビーシートに乗せます。これが無いと交通違反です。日本のミニバンでの後席での子供に対するシートベルトがでたらめな状況とは違い、かなり厳格です。子供の生命を守る義務に対する違反、産まれたばかりの子にも守られる権利があるのです。
車で10分ほど離れた家まで移動します。気のせいか、運転も腫れ物に触るかのようにやたら慎重になります。とろとろと運転して、自宅にたどり着き、まずは娘をベビーシートごと家に運び入れ、その後は妻と荷物とを家に入れます。
次に安静の場を確保しなければと、妻と娘を2階のベッドルームへと引き上げます。そして次には自分たちの食べものの確保です。おじやなど、いくつか和食系の穏やかな食べ物を作り2階へと運びます。病院では体験できなかった産湯にもつけてあげたら気持ちよさそうにしていました。娘は未だにおっぱいを食べ物だとは認識しません。
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2日ほど経った午後、病院から派遣された看護師がやってきます。健康状態のチェック、体重測定、お風呂の入れ方の指導や、ヘソの緒の処置、その他アドバイスをするためです。ヘソの緒はアルコールをつけて強制的に乾燥させるのですね。周りにお産経験者がいるわけでもなく、情報が少なかった我々としてはありがたいリソースでした。
おっぱいを未だに飲まないことを相談します。「おなかがすいたら自分からくるから。新生児は1週間分の脂肪を背中にしょってくるから大丈夫よ」と軽くいなされます。おっぱいを飲まない新生児と胸が張ってきた妻。体重も産まれたときよりも500gほど軽くなっています。初乳が最高の栄養とも聞かされているので、早く飲んでくれないかとも焦ります。
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インターネット普及前です。このような状況をネットで調べるという手段もありません。
妻はどんどんやせていく娘を腕に「シャボン玉の歌」が頭の中に回っていると言います。シャボン玉の歌は、野口雨情という詩人が自分の娘が産まれて7日目に死んでしまったことを歌にしたものと言われています。
シャボン玉飛んだ
屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで
こはれて消えたシャボン玉消えた
飛ばずに消えた
産まれてすぐに
こはれて消えた風、風、吹くな
シャボン玉飛ばそ
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さすがに産まれて3日経ち、何も飲まずにやせていく新生児。「これはやばい」と感じました。そこで母乳を食べ物と認識していないのだろうと仮説を立てます。味さえ分かれば何とかなるだろうと。
知り合いからもらっていた搾乳器具を使ってみます。初乳を少量搾乳し、哺乳瓶に入れます。それを新生児の口に持って行きます。娘は強制的に口に哺乳瓶の先を入れられます。まるで実験です。
運良く仮説通り、一口飲むと母乳の味がわかったようです。その後は狂ったように飲み始めました。哺乳瓶はすぐ空になります。その後は乳房にひたすら吸い付きます。よほどおなかがすいていたのでしょう。かわいそうなことをしてしまいました。
自分たちで生き抜いていくという、アメリカの精神は、創意工夫をあちらこちらで要求されます。助ける人がいないのであれば、自分で何とかする。MBAのコース全般でも感じたのですが、このたくましい生命力が要求されるような部分が、甘えの許されない部分が、日本ととても違うように思えました。
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