出産後24時間で退院させられるアメリカ型出産体験(3)
前回からの続きです。
個室ホテル型分娩室はいいのですが、たまに隣の部屋からは大げさで激しい叫び声が聞こえたりしてきます。妙な緊張感の中、時間は過ぎ、夜中を回りました。いよいよ陣痛も本格的になってきます。
ナースコールをかけます。医者と看護師らが部屋に入ってきます。ベッドは分娩台へと早変わりします。部屋の片隅にある機器類も配置につき、いよいよ出産が始まります。無痛分娩を選ぶか否か、最後に念押しをされます。妻は特に薬を使わずに出産することを選びます。
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出産は無事に30分ほどで終わりました。女の子。時刻は夜中の2時半頃です。すでに6月20日になっています。
自分はヘソの緒を切る仕事を任されます。白い管をジョキッとはさみで切ります。よくヘソの緒って桐(きり)の小箱に入れて取ってありますよね。自分たちも娘のヘソの緒を取っておかなければいけないかと思い、その切った部分を取っておいてもらうように頼みます。
看護師は、ちょっと得意げに、「I know! アジアではコード(ヘソの緒)をキープする習慣があるのよね!」と、了解してくれます。そしてその半透明な白い管がどっさり入ったZIPLOCを渡してくれました。「え、これがヘソの緒?」私たちは怪訝な顔で目を見合わせました。
あまりに異様なモノだったので、とっさにこれは違うと、せっかくのZIPLOCでしたがお返ししました。取っておくヘソの緒って、おなかにくっついた側が乾燥してポロリと落ちる、その部分なのですね。日本では1週間の入院中にヘソの緒が取れて、桐の箱に入れて渡してくれるようです。今であれば臍帯血やES細胞を取っておくために必要な管なわけですが、ZIPLOCに入った生もの、家に持ち帰っていたら、きっともてあましていたに違いありません。ちなみに、そちらの乾燥ヘソの緒はちゃんと桐の箱に入れて取ってあります。
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出産直後に産湯につけるというのは日本での流儀のようです。娘の場合は、ガラス箱の温かいヒーターの下に置かれ、タオルで丁寧に拭かれ、さらに歯ブラシのようなブラシで頭をこすられた後、毛糸の帽子をかぶせられます。それで終わりでした。
さらには、妻は自分で立ってシャワーを浴びに行くように言われます。「え、まさか出産直後に立って自分で移動しなくてはならないとは」と、ちょっと驚きながらも言うとおりに従います。
シャワーから戻るなりに、母乳派かミルク派かを聞かれ、母乳派と答えると、すぐに母乳を与えるように言われます。娘は母乳を食べ物と認識せずに、飲むのを拒みます。
なんだかんだと、私にとっては間延びした時間が流れ、ようやく寝ることができたのが4時過ぎです。長い一日でした。
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翌朝8時、病院の人にたたき起こされます。出生届などの書類手続きのためです。そんな朝早くに始動しなくてもいいのにと、かなり眠い中、応じます。退院については、さすがに真夜中過ぎに産まれたので、24時間とは言わず、翌日の朝までいていいことになります。
聞くと、ミドルネームをつけてもいいそうです。とっさに妻と相談して、Karenとつけました。名前が花菜(はな)だったので、うるさい人に「なんでそんな枯れるような名前をつけたんだ。縁起悪い。」と言われそうだったので、妻のアイディアで「可憐な花」と「枯れん花」とをかけでカレンとしたのです。ハナもカレンも日本語でも英語でも通じる名前、と選んだ背景もあります。
★付き添いベッドの上で。まるで自分がお産をしたようです(笑)。この帽子がなぜだかすぐにかぶせられます。
大学の同級生の中でお産を1週間後に控えた夫妻もお見舞いにやってきました。個室なので出入りは自由です。担当医師だったマンデル先生もやってきます。産婦人科は人の夢に立ち会えるとてもいい仕事だと言っていました。
★アメリカではこのようにタイトにくるんで、子宮にいた状態を赤ん坊に思い出させると静かに寝るというノウハウがあります。
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翌朝、家に連れて帰ります。さて、ここから、未経験子育ての実験が始まります。何せ、先輩のいない中、試行錯誤でいろいろと発見しながら育てるのです。特に、おっぱいを食べ物だと認識せずに何日も水すら飲まない状態でいたのは、後から思えば危険でした。
★実験の一つです。タオルでタイトに縛ると乳児って気持ちよさそうに眠るのです。
以下次号・・
ちなみに、この病院では落馬してすぐのクリストファー・リーブも同時に入院していたと聞きました。
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