コピーできないもので、自慢できるものに価値がある(2)
年末、Rauru Blogのduke氏の「コンテンツの終焉」を読んでほぉーと思いました。はてブでたくさんのブクマが付いたのも、最近になって多くの人が薄っすらと感じていたことを、明確にテキストとして書き表してくれたからではないかと思っています。
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では本当に求めているものは何か考えてみよう。例として、先月 mara が Techdirt から拾ってきた アメリカ音楽界の現状 を見てみる。私が特に注目した点は以下の二つだ。
* アーティストのツアー売り上げも増えてる
* 楽器の売り上げに至っては激増
ツアーと楽器に共通して言えることは、使い古された言葉ではあるが、「体験」ということになるだろう。コンサートに参加することと、自分で楽器を演奏すること。両方とも「唯一無二の体験」である。ニコニコ動画でコメント祭りに参加するのも、そうした体験の一つだと言えるだろう。コンテンツは今や、体験する、あるいは体験を共有するための、トリガに過ぎない。
体験は、少なくとも現在の技術ではコピーできない。コピーできないその場限りの唯一無二のものであるという点で、コピーの氾濫する現代において 相対的な競争力が高まっている と言える。
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この投稿のポイントはここであって、ここだけに着目すればよい。別な方のTBが付いて議論を散らかしていますが、それは筆者が「体験は、少なくとも現在の技術ではコピーできない。コピーできないその場限りの唯一無二のものであるという点で、コピーの氾濫する現代において 相対的な競争力が高まっている」と確信するに至った経緯のオリジナリティに水を差すものであって、あんまりよい態度だとは言えない。
筆者はまったく自分の経験と思考のみからそのように確信したのであって、これはすごいことだと思います。企業価値の歴史で言えば、非常にエポックメーキングな視点の転換です。そのようにして出てきたオリジナルな言説が、歴史的に先例があるかどうかはあまり大した問題ではない。ブクマがたくさん付いているのは、そのオリジナルな思考の迫力に共感が集まるからだと思います。
もっともこうした体験および経験(いずれもExperience)への着目は「経験価値」という文脈で、企業の差別化の1つの軸になっており、具体的な戦術の中に組み込んでいる企業も少なくありません。以前に触れたアップルストアなんかもそうです。
ただ繰り返しになりますが、そうしたすでに言われていることを、自分の思考で発見し確信したということは、やはりすごいことで、その価値が失われるものではありません。「経験価値」関連の書籍があるからと言って、彼の上の投稿の迫力が失せるものではない。
個人的には、コンテンツが終わったというよりも、
1)コピーできるもの全般の価値が相対的に低くなるのと並行して、
2)コピーできるものの領域が技術の進歩により日々広がっている。また、
3)コピーできないものの価値が相対的に高まっていくのは確かだが、
4)その価値は「人」に負うところが大きい、
ということが言えると考えています。
2)については、例えば、現在では、コピーできるものの1つにビジネスモデルがあります。ビジネスモデルはコピーされればされるほど、利益は薄く、企業価値が高まる可能性はなくなっていく。これを防ぐには、コピーしにくい人的資本などに注力して、オリジナルな業態を確立していくしかない。
3)のコピーできないものには、経験だけでなく、希少価値の高いモノも含まれるでしょうね。
4)について、特定のモノや経験の価値が高まるのは、「彼/彼女が言及したモノ/経験はやっぱりすごいよねー」という名声を確立した人による高い評価がある時です。全部が全部そうだとは言いませんが。ミシュランもその一例。古くはポールが使っていたリッケンバッカーなんかもそうです。
コピーできないものの典型にアート系のモノがあります。ここに骨董品を含めて考えてもよいと思います。
私が存じ上げているHigh Net Worthの方は日本に来た際に日本刀(歴史がかったやつ)が欲しいと言い出しましたが、これもコピーできないものであると同時に、家に飾って誰かが来た時に自慢したいということがあるんでしょうね。
○○○○○(1)、○○○○○(2)…と続く投稿は、回を追うごとに読まれなくなってくのですが、もう少し続けてみます。