Report on Japan's infrastructure topic on weekend.

インターネットでは色んなものがゼロ円になる…

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95年頃からインターネット上のコマースの動きをウォッチしてきている者として言わせていただくと、おおかたのインターネット上の経済行為は遅かれ早かれ、単価ゼロ円に近づいていきますね。これは、それらの経済行為を成す諸要素が、複製が可能であるということと大いに関係しているように思います。

インターネットメールを使ったマーケティング行為。これは害悪でしかないスパムに覆われてしまっています。本来ならリスペクトの応酬であったトラックバック。これもスパムに覆われてしまっていますね(トラックバックでろくでもないマーケティングメッセージを投げかけてくる人はいいかげんにしてほしいですね)。このへんは、それを可能にするプログラム/環境が複製可能であるということが真因のように思えます。アフィリエイトも、大半はノイズのようなコンテンツで埋まってしまっているのではないかと思います。これは、アフィリエイトを可能にするメディア/環境が、やはり複製可能であるということと無関係ではないと思います。まったく嘆かわしいことです。

なぜこれが起こるのか?ということを真剣に考えてみなければいけない時期に差し掛かっているように思います。
ある時期に価値があっても、近い将来にゼロ円あるいはそれ以下のマイナスの価値になってしまうサービス/アプリケーション/ビジネスモデルに共通した特性とは何か?
上で言った「複製可能であること」なのか?それとももっと違った特性なのか?

複製が不可能なサービス/アプリケーション/ビジネスモデルというものがあるとすれば、それは未来永劫価値を保っていくことができるのか?というより、ある固定的な”複製が不可能なサービス/アプリケーション/ビジネスモデル”を想定するのではなくて、”複製が不可能なサービス/アプリケーション/ビジネスモデル”を未来永劫産み続ける構造のようなものがあれば、状況は一変するのか?

「永遠に続く差異化」みたいなキーワードを口にしていた80年代後半の識者の方に少し聞いてみたい気がします。

Comment(2)

コメント

保坂

保坂です。
難解ですが、また東浩紀が面白いです。
ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2

読みやすさなら、北田暁大との対談
東京から考える―格差・郊外・ナショナリズム

がおすすめです。

「永遠に続く差異化」の先の動物化をポジティブに捕らえている東浩紀は、コミュニケーションに注目しています。
つまり差異化の果ては、コミュニケーションのための差異化になると語っています。

#佐野元春が「重要なものが無料化し、どうでもいいものが高価になる」みたいな発言をしていたのは、そういうことじゃないでしょうか?

>保坂くん、コメントありがとうございます。
仕事の負担が軽くなったら、いずれがんばって読みたいと思います。
ised
http://www.glocom.jp/ised/
でそのへん徹底的に議論されているのですよね。あそこも一度しっかりと読み込んでみたいと思っていました。
自分の認識では差異化のないところに価値はないように思います。また一方で不易流行の不易も大切なわけで。
永遠の差異化はヒトからくるとにらんでいます。

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