オルタナティブ・ブログ > 成迫剛志の『ICT幸福論』 >

”情報通信テクノロジは人々を幸せにする”を信条に、IT業界やアジア・中国を見つめていきます。

広げた風呂敷の戯言は?

»

昨日(4月1日!)のブログエントリーではお騒がせしました。

話は全く変わりますが、ビル・ゲイツの成功のキッカケとなったエピソードがあります。

IBMが1980年パーソナルコンピュータの開発に着手。プロジェクトリーダーのフィリップ・ドン・エストリッジは、スピードを優先しソフトウェアは自社開発せず外部から調達することとした。

当時、主流であったパソコンOSであるCP/Mを採用すべく、開発元であるデジタルリサーチ社のゲイリー・キルドールにアプローチ。 しかし、キルドールはIBMの重役を待たせたまま趣味の自家用飛行機で飛び立ってしまい、留守中のキルドールの妻と機密保持契約を試みたものの、妻はサインを拒んだ。

困ったIBMのエストリッジがビル・ゲイツに相談したところ、ゲイツは同様のものを提供できると即答する。 この時、マイクロソフトはOSの開発は行ってなく、完成品のソフトウェアが無いだけでなくOS開発の技術者も擁していなかった。しかし、ゲイツは、IBMに対して YES と答えた。

ゲイツは、CP/M互換の8086上で動くOSを開発していたシアトル・コンピュータ・プロダクツ社の86DOS(QDOS)を僅か50000ドルで開発者込みで買収。IBM PC用に改修した。

その後、IBM PCは大成功をおさめ、これに伴ってマイクロソフトもOSの業界標準の地位を得ることとなり今日に至ったと言う。

このエピソード、様々なバージョンがあり、どれが真実かわからないのですが、少なくともIBMがPCのOS開発についてビル・ゲイツに相談した段階でビル・ゲイツは確実に提供できるものは無かったようです。しかし、ビル・ゲイツは YES と言った。その YES がマイクロソフトの躍進のスタートだったと。

同じような話は日本でもあって、大手メーカーの日本語変換ソフトの開発を受託したジャストシステムも、受託当時には、開発できる保証がない状態だったとか。(以前、テレビでみた記憶があるのですが、ネット上でこのエピソードが見つからないので、フィクションだったのかもしれませんが。)

ITで人々を幸せに。このブログのタイトルの実現のための選択肢は無数にあり、昨日のエントリーも単なるエイプリルフールというよりは、叶えたい戯言だったりします。 立ちはだかる大きな壁のひとつは『比例区は公職選挙法上の政党』である必要があること。 ビル・ゲイツがIBMにYESと言った時と同じタイミングとすると、僕が次にすべきことは・・・・

 

Comment(0)