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 セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

やっぱりおかしな国

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東京医科大の一般入試の方法が問題となっている。不思議なのは、「時代遅れだ」とかいう消極的批判が多く、また大学側の「必要悪」という主張がある程度受け入れられているように感じられること。今朝のあるバラエティでも、医師国家資格を持っている女性タレントが、女性が多くなると外科など力を要する科目を支えるべき男性が少なくなってしまう、ということを説明していた。だが、職業選択の自由はあっても、実際にニーズがなければ猫も杓子も眼科、皮膚科などだけ行けば、結果として仕事はないわけだから、それは様々なコントロールの方法があるのではないか?そして、結果として外科を女性が選んだとすれば非力であろうと、その必要な医療をやっていただくしかない。出産しようと、育児が大変であろうと、職業として医師を選んだ以上は、相応の責任をもってやっていただけばよいのではないか?そしてそういう覚悟は出来ているのではないか?

そもそも認識すべきは、この東京医科大の所業は、明確な憲法違反だということだ。大学設置法などに規定があるのかどうか分からないが、このような憲法にすら違反した業務展開を行っているとすれば、何らかの基準で大学設置の許認可をはく奪することも出来るはずだ。現在在籍する学生を最後に廃業させるべきではないか?それから、冒頭のタレントによれば、これはこの大学だけの問題ではないということであり、恐らくそうだと容易に推測される。だとすれば、このような事態が文科省や厚労省の知らないところで起こっているはずがなく、行政そのものの所業ということになるのは必然だ。

本当に、上記のような差別が必要だというのであれば、正々堂々とこれを受験要領に明記して、説明責任を果たすべきである。その結果として受験生から人気がなくなる、或いは社会的批判を浴びようとも、必要であるから差別を継続する、というのであれば、話はまだ異なると思う。或いは、体力を検定の基準の一つにするなどということも考えられる。要は、誰もが筆記試験という共通の課題の結果と内申書と言われる高校時代の評価だけ(内申書が今でもあるのかどうかわからないが)で、合否が機会平等に決まると思っているのだから、これと異なる基準が介在するとすれば、これは極めて悪質な背任的行為であり、刑法犯で処分してもよいようなレベルのものだと感じる。

因みに東大は女子学生の比率が20%しかなく、これも何か工作がされているのではないかと、先日友人に聞いたら、「いや、女性が自分は東大だというと、男性が引くので、そもそも女性があまり東大には入りたがらないのだ」という説明であった。そのこと自体が良いことなのかどうかは別にして、このように市場が結果を作り上げるべきものであり、人為的な差別は言語道断だと言わざるを得ない。もっともっと優秀な女性が医療業界以外でも、どんどん活躍されることを期待したい。ただ、一部政界にあったような、人間的に問題がある方が、極めて優秀だというだけで世に出ることは好ましくないので、公開された正当な方法で選別されるべきではあると思うが。

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