セールスジャパンの経営を始め、様々な事業活動に携わるマイク丹治が、日々仕事を通じて感じていることをつづります。国際舞台での活動も多いので、日本の政治・社会・産業の課題などについて、グローバルな視点から、コメントしていきたいと考えています。

力による支配の限界と人類の限界

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先般のマスコミ報道で、高校生を対象にした調査によれば、重大犯罪を防ぐためには自白強要も良いと考える比率が7割近くだったということだ。立憲主義についての理解は8割を超えていたそうだが、これはおそらく観念的に憲法の基本的考え方を認識しているだけで、その底流に流れる思想、つまり人権に関する理念が共有されていないということかと感じた。また、加えて言えば、やはり我が国において、自己を個として認識し、その社会における権利義務を考えるという発想の薄さ、もっと言えば政府任せ・お上意識の高さと言うことも出来そうだ。

自分の身を守ってくれるのは行政であって、悪を排除するためには、必要なことは何でもしてほしい、つまりそこに被告人に対する人権意識は全く存在しない、その意味で人権に関する認識が普遍性を持っていない、人権イコール自分の権利、という点に、我が国と欧米諸国との本質的な相違を感じる。

北朝鮮と米国の行動が注目を浴びているが、元々国連の意思に違背して核実験などを行った北朝鮮に非はあるが、一方で元々は平和的な解決を志向していた米国も、そもそも国連や様々な国際協力へ非協力的な姿勢を見せ始めていて、更に空母を配備となると、これまた力による支配を志向していると言われても致し方ない部分もある。加えて、今回の米国の行動に対して、力による支配への不快感を示した中国も、一方で南沙諸島では力による支配をめがけて軍備基地などを建設しているのであって、残念ながら外交辞令で何を言おうが、世界中が自国優先の力による支配へ向けて突き進んでいるように感じる。

その意味では、普遍的な人権を標榜した欧米諸国が、徐々に自国内の人権にその普遍性を縮小している、つまり我が国に近づいているというようにも思われる。自国を繁栄させたい、自国を守りたい、その中でも自分の立場を守りたい、自分は豊かになりたい、そんな20世紀後半とは逆方向のベクトルが見て取れる。これが人類という生き物の限界なのか?未来の世界戦争、宇宙戦争を扱ったストーリーは多いが、全ての生き物がそうであったように、地球上稀に見る知性を持った生き物である人類も、生き物の例外ではなく、自ずから限界があるのかもしれない

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