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プログラミングでメシが食えるか!?

ベテランの転職は、他から誘われるくらいでないと厳しいのではないか

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先日、「一人になったときに何ができるかを考えておく」という記事を書きました。その後、ある人から転職したいという相談を受けました。あまり個人が特定できるような内容は書きたくないので、かなり抽象的に書きますが、いろいろと考えさせられました。

転職したいという背景には、仕事が嫌というより、会社が嫌という感じでした。合併を繰り返し、親会社的な会社からの受け皿のようになりつつある、とか、外資も入り、業績が良くないと、いろいろな口実で減給や人減らしが行われる、とか、そういう状態なのでできる人が抜け、できない人ばかり残る、とか・・・

その人自体はまじめで仕事も実際に良くやっているのだと思います。ところが、勤務先の環境がどんどん悪くなっていく、ということなのでしょう。

私のように、もともと小さな会社に就職し、雇われながらも社長までいろいろな立場を経験してきた感覚からいくと、勤務先が良くなるのも悪くなるのも、自分自身の努力が足りないから、と言いたくなるのですが、大きな会社ではそう簡単ではないということくらい、私でもわかります。自分の力で変えていけないのなら、やっぱり自分が移動するしかないのかもしれません。

しかし・・・今の時代、求人は非常に少なく、しかも、若くもないですし、できることはある分野のスペシャリスト的なこととなると、選択肢はますます減ってしまうことでしょう。

その人の言葉で気になったのが、「**の仕事ができる人を探している会社があったら、是非紹介して」という表現でした。そういう会社ははたしてあるのでしょうか。「**」というのが抽象的なのでわかりにくいのですが、営業や製造などの直接お金を生む仕事ではありません。少なくとも国内の会社は、間接部門はできるだけ小さくしようと考えているでしょうから、ほとんどの会社は「間に合っています」ということだと思います。

私は、ある程度年齢が上の人の転職は、相手から誘われるくらいでないとうまくいかないのではないかと思っています。ベテランの価値は「経験」だと思っていて、それに付随して「人脈」「スキル」などがあるのだと思っています。そして、その「経験」というのは、意外とアピールが難しいと感じているからです。

普段から、自分の考えや行動を、たとえばこういうブログで書いていたり、あるいは、いろいろな集まりに参加して議論したりしていれば、その人の「経験」を知り、魅力を感じた人から声がかかることはあるでしょう。しかし、「勤務先がひどくなってきたので、転職したいから、話を聞いて欲しい」と売り込みにきたとして、はたして話を聞いてくれるのだろうか、と思うわけです。

同時に、企業側の責任も実は感じていて、いわゆる「大手の飼い殺し」と一言で言えることかもしれませんが(汚い言葉ですみません)、社員に対して、どこに一人で出しても活躍できるような経験をさせず、さらに社外とのコミュニケーションを厳しく制限したりして、結果的にその会社の歯車的にしか働けない(極論ですが)人を作り出し、それで以前の終身雇用制度なら問題ないのでしょうけど、今どきは平気で人減らしを行う、というのは、あまりにも無責任なのではないかということです。

本人がいくらでもやろうと思えば継続的に行動はできたはず、転職先を見つけられないのは本人の問題、と冷たく言うことは簡単ですが、本人にそういう危機感を与えてこなかった会社側の問題はないのでしょうか。もっとも、「一人になったときに何ができるかを考えておく」に書いたように、大手にいても自分の魅力をしっかり高め、人脈もある人もいるわけですが。。

私はメンバー達に、「とにかく外に出て交流しろ」と言い続けてきました。他にも「ブログをどんどん書こう」「著書も書こう」と・・・。その背景には、「外に出て交流しなければ、ニーズがわからないし、アピールもできない」という、直接的なこともありますが、なによりも「本人が社会人として立派になって欲しい」ということがあります。本人が立派になってくれれば、会社としてもうれしいことはもちろんですが、仮に会社がおかしなことになっても、食いっぱぐれることはないだろうという気持ちもあります。せっかく一緒にやろうと思ってくれたメンバー達ですから、もちろんずっと一緒にやりたいと思っていますが、会社と心中してもらう必要はないわけですし、もし他にもっと魅力がある職場があるのであれば、強引に引き留めることが正しいとも思っていません。逆に、外をたくさん見た上で、やっぱり一緒に続けたい、と思えるような職場にするのが、私なりリーダー達なりの大事な役目なのです。

どこに出ていっても歓迎されるような、経験・スキル・人間性を持つことは、とても大切であると共に、実はかなり難しいことだということを、あらためて考えさせられる出来事でした。

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