当時アバンギャルドだったオーネット・コールマンが時間の経過と伴に普通になっていく
最近、オーネット・コールマンがお気に入りで、家でも会社でも頻繁に聴いているのだが、何の抵抗もなく聴いていられるという事実に驚いている。
抵抗という表現をするとちょっと誤解されてしまうかもしれないので、簡単に説明しておきたいと思う。オーネット・コールマンという人は、有名なジャズのアルト・サックス奏者で、個人的には昔から大好きなこともあって、今でもCDをたくさん持っている。だから、そういう意味での抵抗といったものは全くない。
ところが、オーネット・コールマンの音楽は、ジャズが若者にとってカッコいい音楽だった今から30年以上も前の時代、フリー・ジャズと呼ばれる、ジャズの中でもどちらかというと理解するのが難解な音楽だと言われていた。言うなれば、ジャズ界におけるアバンギャルドのシンボル的な存在だったわけだ。
実際、その頃はジャズ喫茶でオーネット・コールマンのレコードがかかろうものなら、席を立って帰ってしまう客が珍しくなかったし、彼のレコードをリクエストしてマスターから断られたことだって何回もある。その当時、オーネット・コールマンは間違いなくジャズ界の厄介者だったわけだ。
こっちにしても、好きではあったものの、オーネット・コールマンのレコードは軽い気持ちで聴けるような存在ではなかった。ちゃんと正座して、集中して耳を傾けなければ理解できない部類の音楽であったという印象を持っている。
それがどうだ。今は、何の抵抗もなく耳に入ってくる。どこが難解だというのだ。仕事をしながら聴くのに最高の音楽だし、むしろ仕事の効率が上がりそうな気さえしてくるから驚きだ。
30年以上前にアバンギャルドだったオーネット・コールマンの音楽が、時間の経過と伴に普通に聴けるようになってしまった。今改めて聴いてみてわかるのは、彼の音楽がブルース、フォークなどのアメリカ音楽をルーツした極めて土着的なものであるということ。完全にスイングまでしている。
芸術の世界では珍しくも何ともないことであるのは理解しているが、こうした彼の音楽の本質が、当時はどうして理解されなかったのか本当に不思議だ。時代がアバンギャルドの本質に追いついて、その本質がアバンギャルドでも何でもなかったということがわかるまでに費やした30年という時間は、長かったのだろうか短かったのだろうか。
それにしてもオーネット・コールマンは最高なわけで、パット・メセニーが彼のことをアイドルと公言してはばからない理由も今さらながら理解できる。