「お前、仕事で全力出してんのか?」がもたらしたパラダイムシフト
最近、友人と「仕事への全力投球」について議論になった。
「最近、仕事に情熱を持てない。」「上司の好き嫌いによって評価が決まるし、程よく手を抜いてそつなくこなすのが正解なんじゃないかと思う」「仕事以外で人生のバランスを取らないとな」。彼はそんな事をボヤいていた。
うーむ。確かに。そんな風に割り切りたくなる気持ちはわかる。
上司が理解を示してくれなかったり、仕事がつまらないなら、情熱を傾けるモチベーションはなくなる。そりゃそうだよね・・・。
「お前全力出してんのか?」
この時、ふと、新入社員時代を思い出した。ダイワハウスというハウスメーカーにいた頃の話だ。
当時の僕は、
- 効率よく仕事して、さっさと帰えろう。
- プラスアルファの仕事は、基本やらない。頼まれたらさっくりやるけどね。
- 上司が気持ち良くなるように、ポイント押さえて要領よく。
- 上司の期待値の1~2%だけ上をいく。
という考え方をしてた。なぜなら「仕事なんてつまらないものだ」と思っていたからだ。より多くの仕事をする意味、より品質の高い仕事をする意味を、全く見出せなかった。程々でいいじゃないかと。
そして、程々のパワーで仕事をしておけば、十分に評価された。(だいぶ不遜な言い方だが、実際評価されていたと思う・・・)
今思うと、かなり嫌な新入社員だ・・・。
そんな頃、飲みの席である先輩(関西のオラオラ系の先輩)に強烈な一撃をもらう。
・・・
「お前・・・。まったく全力出してへんやろ?」
「え?なんですか突然。そんなことないですよ」
「俺には、仕事をナメているように見えるね。"自分、仕事できますから"とか思ってんちゃうんかい?」
「そんな事ないですよ。買いかぶり過ぎです。僕の実力はこんなもんですよ」
「ふん。その言い方がもうアカンな。」
「・・・何なんですか。しっかり仕事してるんだからいいじゃないですか」
「・・・。つまらん奴やな。何をビビってんねや?一度くらい全開で、必死で仕事してみろや?!」
・・・言われた瞬間「は?何言ってんだコイツ」と思った。
「もっと出来るヤツかと思っとったが、大した事ないな。がっかりさせんな」
二の矢が飛んできて、この後結構な口論になった。
でも、この言葉が僕の人生を変えた。
(藤田さん、あの時はお世話になりました。感謝してます)
「くそ。やってやろうじゃないか」
数日は腹が立って仕方がなかった。でも、時間が経つにつれ考えが変わってきた。
「そう言われると、、、たしかに全力でやってない・・・。・・・一度くらいやってみるか・・・」
その努力は無駄になるかもしれない。虚しいだけかもしれない。むしろ悪い方に転ぶかもしれない。それでも、これだけ言われたら引き下がれない。
一ヶ月全力でやってみた。
結果は・・・、想像と正反対だった。
確かに仕事は増えた。それまで月間20棟しかやってなかった仕事が、35棟に増えた。(実際に数字で残っている)。
僕の守備範囲は月間20棟なのだが、誰がやるはずだった15棟分の仕事を取ってきていた。あたりまえだが、仕事をすればする程、後工程からの問い合わせや、トラブル対応も増える。
そんなこんなで仕事は倍くらいに増えたが、精神的なストレスは半分以下になった。何が起こったかというと、
- 自分からガンガン仕事を取りに行くので、指示されることが無くなった。
- 自分の好きで仕事を取りに行っているので、他責にすることが減った。
- つまり「自分の仕事はここまで」というテリトリー意識がなくなった。「もっとこうした方がいい。こうすれば良いのに」と思うことはよくあるが、だいたい自分の仕事の範囲外である。でも、テリトリー意識がなくなったので、自分で動いて解決してしまえば良くなった。
- しかも「やれやれ」と思って対応するのではなく、「自分の仕事だ」と思って対応するので精神衛生が格段に良くなった。
- さらに、他人の仕事をもらいまくっていたので、周囲の人との関わりが劇的に増えた。
- 関わりが増えると新しい問題点や、ボトルネックが見えてきて、また仕事のタネが増える。
- 新たに出てきた仕事のタネは、たいていルーチンワークではなく、ちょっと頭を捻る必要がある仕事だったので更に仕事が楽しくなる。
- 結果、極端に言うと仕事が「苦役・労役」ではなく「趣味・楽しみ」になった。
この経験は衝撃だった。
予想したことと逆のことが起こったのだ。「仕事は増やしたくない」「仕事は嫌いだ」と思っていたのだが、この経験以降、仕事が圧倒的に楽しくなった。やがて、他の部署からも声を掛けてもらうようになり、相談に乗ったり、新しいことを始めたりすることが増えていった。同時に感謝されることも劇的に増えた。
自分から進んで何かをやった結果、人に感謝されるのである。
何もしてなかった時に比べて仕事は増えているのだが、すごく気持ちが軽やかになった。「また何か余計な仕事をしちゃおうかな」というエネルギーが自然と溜まっていく。そしてまた新たな行動を起こし、感謝される。
この循環が、本来の仕事なんじゃないかと感じたのだ。
※実は、この経験は初めてではなく、学生時代にマクドナルドのアルバイトで経験していたことにずっと後で気付いた。これについては、ダラダラとこのブログ(働きがいと時給650円のバイト)でも書いた通りだ。
見返りを求めて全力投球したわけではない
面白いのは「上司の評価を得たくて全力を投じたワケではない」ということ。
純粋に一度全力を出してみたかっただけだ。
その結果、次々と面白いことが起こり、仕事がなんだか楽しくなった。少しタイムラグがあって上司からの評価も上がった。
でも、多分上司から評価されなかったとしても、大勢に影響はなかったと思う。
表現が正しいのかわからないが「仕事の損益分岐点」を超えた感じだった。
今だからよく分かるが、「上司の評価」なんてあやふやなものより「自分が仕事を楽しいと思う」ことの方がはるかに価値がある。
人生の大半の時間を投入する仕事が"楽しい"と感じられるなら一生楽しく過ごせることになる。
今この瞬間の他人の評価など、それに比べたら些細な問題だ。
スポーツでも習い事でも同じだと思う。
「一度始めたことは最後までやり通せ」なんて考え方が古い。ダラダラ続けることほど不幸せなことはない。
でも、全力を投じないまま、スポーツに愛想を尽かすのは、何とももったいない。
一度くらいは全力で取り組んでみて欲しい。それでもだめならスッパリやめたらいいと思うのだ。
何が言いたいかというと、
仕事に愛想を尽かすのは、一度くらい全力を出してみてからでも遅くない。必死にジタバタしてみる時期があっても良いじゃないか。
損益分岐点を超えた時に、新たなパラダイムが見えるかもしれない。
全力を出した結果「イマイチだな」「違うな」と思うなら、さっさと転職して「楽しい」と思える仕事を探した方が良いだろう。
仕事を諦めて小さくまとまるのは、最後の手段にして欲しいものだ。
綺麗事かもしれないが、「仕事は楽しむもの」であって欲しいから。
短く、単独の矢印が、仕事をつまらなくする。
ここまでで言いたいことはだいぶ書けた気がする。ここからは蛇足だが、僕に起こったことは、「矢印理論」によって説明できる気がしている。
抽象的なイメージで恐縮なのだが、大企業には「矢印」が短い人が多いと思うのだ。
短い矢印とは、運動量が少なく、自分の仕事だけを最小限の力でやろうとする人のイメージである。
余計な仕事はしたくない。面倒に巻き込まれたくないと思っているとどんどん矢印が短くなる。
いつのまにか短い矢印(事なかれ主義。出過ぎない主義)が企業の文化になっていく。
そして、矢印が短く、運動量が少ないと、他の矢印とぶつかる可能性も極端に小さくなる。
僕は、自分の「短い矢印」を全力で引き伸ばしてみたのだ。
自分の矢印が伸びまくったことで、他の矢印とぶつかる機会が圧倒的に増えた。
矢印と矢印のぶつかり合いによって他人との違いがわかり、内省を深めるキッカケが生まれた。
加えて、矢印と矢印がぶつかり合うことで、火花が散り、新しい何かが生まれる。
新しい何が生まれると、運動エネルギーを高めるきっかけが増え、更に矢印が伸びた。
組織の中でバラバラだった矢印達も、他の矢印とぶつかると自然と方向性が揃ってくる。
周囲の人たちと考えていることや、価値観がそろってくるのだ。そして徐々に一体感が出てくる。
僕が全力を出すことで起こったことは、抽象的に語るとこういうことになる。矢印が短いと何も起こらない。ぶつかり合いもなく、当然方向性もバラバラのままだ。
最初に「長い矢印」になるヤツが、新たな「長い矢印」を育てる
僕はコンサルタントという職業柄、相当な数の組織に出入りしてきた。
そこで見てきたのは、伸びたいのに燻っている「短い矢印」たちだ。
すごい才能・潜在能力を秘めているのに、環境によって抑制されてきた人達が、組織には多くいる。鳴り物入りで一流企業に入ったのに、組織の論理に抑圧されている人達がいる。冒頭で紹介した僕の友人も、そんな燻った矢印なりつつある。
そういう人たちは、ちょっとしたキッカケがあるとすぐに変わる。ちょっとしたことで、すぐに長い矢印に化ける。
一番よいキッカケは「長い矢印」を目の当たりにすることだ。「あ、ここまでやって良いんだ」「ここまでやるとこんなに楽しくなるんだ」と気付くと、後は勝手に長い矢印に化けてくれる。
人を"育てる"ということではなく、"勝手に育つ"という感覚。
育つキッカケを作るには、「長い矢印」になるファーストペンギンが必要なのだ。
誰かがバーンと長い矢印になれば、その影響は周囲に伝播される。
あなたの周りに「長い矢印」がいないなら、あなたが仕事に愛想を尽かしているなら、ダメ元でファーストペンギンになってもらいたい。
あなたが「長い矢印」になることで、組織が大変革するキッカケが生まれるかもしれない。
なんにしても、自分を抑制して短い矢印のまま終わるのは、本当にもったいない。
一度くらい長い矢印になってみようぜ。
会社を辞めるのはそれからでも遅くない。
「長い矢印」になろうとする人を後押しする「会議の教科書」。
合わせて3万部突破! 自分で言うのもなんですが、きっと力になると思います!