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次の10年語り継がなければいけないインターネットの物語

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あの、さくらインターネットが20年目を向かえるとのことを田中さんのブログ「さくらインターネットの歴史」で知りました。ブログには、さくらインターネット創業期からの苦労話を含む歴史がエントリーされており、同時代からインターネットのテクノロジーに携わっていた僕にとっても、その時代を思い出す感慨深いエントリーでした。

1996年といえばインターネットに関する日本語の技術的な情報ソースはかなり限られていて、情報ソースはインターネットは勿論でしたが雑誌がメインでした。僕にとっての情報ソースはインプレスの「インターネットマガジン」とアスキーの「Internetworking」の2冊で、特に「Internetworking」には興味深い技術記事が掲載されており、何度も何度も読み返し勉強したのを覚えています。また「インターネットマガジン」には毎月「インターネットサービスプロバイダー(ISP)相互接続マップ」が掲載されており、その絵柄は脳細胞が細胞分裂するように毎月拡大していったことを覚えてきます。

ISP相互接続マップ
ISP相互接続マップ

インターネットサービスプロバイダー(ISP)もかなり限られていており、ダイヤルアップ接続のため電話料金が必要となることから近所に接続しなければいけません。ローカルではASAHIネットとかリムネットとか代表的でしたが、僕は多摩インターネットという非営利団体で互助会形式のISPに参加していました。

この多摩インターネットはIIJ多摩の6M bpsのバックボーンから分岐される128k bpsの帯域を有しており、自宅のモデムから64k bpsで永山のAPNにPPP接続していました。もちろんテレホーダイの時間帯です。6M bpsといえば画像を表示するものそれなりに時間がかかりますね。トラフィックを1バイトでも少なくし帯域を刺激しないように「メールのフッターはシンプルに」という(今では語られない)当時のマナーの所以はここにあります。当時のIIJはインターネットのエクスチェンジであるNSPIXPに1.5M bps、米国西海岸に45M bpsで接続されている読んで字のごとく「背骨」でした。このISP相互接続マップは現在Impresss Innovation Lab.のサイトに掲載されています。

2016年を迎えようとする現在、(今更ですが)インターネットは名実ともに生活のインフラとなり、AmazonプライムビデオやNetflixなどのHD映像をリビングでストレス無くエンジョイできる上下1G bpsの光回線で各家庭に接続されています。このように今ではまったく気にしなくなっているインターネットの接続網ですが、この1995年から始まった日本のインターネットインフラの膨張については、若手エンジニアだけではなくインターネットに携わるビジネスパーソンにもしっかりと語り継がなければいけないと思ってます。

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