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世界最高峰のモータースポーツであるフォーミュラ1を「斜め45度」から見ると、ビジネスや世の中が見えてくる!?まったり気ままに、時には真面目に。世界を駆け巡るF1ビジネスの仕組みから、F1でわかる経済学、エコとF1まで。フォーミュラ・コモンズがお届けします。

F1が「いまだに」価値を持つ理由 ―「blog.formula.commons」開設の挨拶にかえて―

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・F1とは「時代を映す鏡」である

 F1は単なる自動車競争ではなく、今の時代を映す鏡です。

 日本では、F1は「終わった」と考えられている節があります。「音速の貴公子」アイルトン・セナが活躍したのはすでに20年前。近年はホンダ・トヨタのF1撤退が大きなニュースとして一般紙でも取りあげられ、F1の「終わった」感がより強くなりました。F1専門誌は次々休刊し、辛うじて残った雑誌も部数を減少させ続けています。F1に生で触れる年に1度の機会である日本グランプリは開催さえ危ぶまれ、そもそもフジテレビはF1中継を続ける気があるのかどうかさえ定かではありません。

 しかしながら、そうした日本での「F1離れ」の一方で、中国、マレーシア、シンガポール、韓国、そしてインド......と、アジア各国でF1グランプリ開催の輪が広がっています。彼らはF1を自国で開催し、コンテンツとして成長させることに大きな価値を認めているのです。またイギリスやドイツ、イタリア、スペインといった西ヨーロッパ諸国でのF1人気は堅調で、F1は依然として高い価値を持つコンテンツとして考えられています。

 この「日本」と「外国」のあいだの差。そこに我々がこのブログを始める理由があります。F1を単なる自動車競争として考えるのではなく、自動車産業の衰退やエコ・ビジネスといった近年のビジネストレンドと密接に関わり合ったグローバルな「現象」として考えてみよう、ということなのです。F1は確かにオリンピックやサッカーのワールドカップと並ぶ「世界三大スポーツ」の1つとされています。しかしそれと同時に、いや、だからこそ、「今の時代を映す鏡」なのです。
  F1を通じて見えてくるのは「終わりつつ」あるひとつのコンテンツの現状だけではなく、日本が世界のなかでどのような状況にあるのか、なのです。


・F1を題材に、現代社会を考えてみよう!

 F1は世の中で起きている様々なニュースや変化と密接に関連しています。少し見方を変えるだけで、「F1オタク」とでも呼ぶべき人々が繰り出す専門用語や細かな技術規則の意味や仕組みが分かっていなくても、F1を楽しむことはできるのです。

例えば:
 2000年代にホンダやトヨタがF1に自社参戦し、目覚ましい成果を挙げることが無いまま撤退したことは記憶に新しいところです。この出来事をちょっと「斜めから」見てみると、海外展開した日本企業が現地法人の組織をどのように構築し、戦略を策定するべきかという、多くの日本企業が現在直面している問題が透けて見えてきます。

あるいは:
 2013年からF1は、利用するエンジンの大幅変更が予定されています。そこには、ヨーロッパで現在進行しつつあるグリーンイノベーションが密接に関連しているのかもしれません。化石燃料をどんどん燃やし競争をするF1というスポーツのイメージは、私たち日本人が想像するよりもっとヨーロッパでは嫌われているのかもしれません。

もしかしたら:
 F1は現在BRICs、韓国などでのグランプリ開催を推し進めています。カタール、ロシアでのワールドカップ開催が決定したことは記憶に新しいニュースです。国家の経済成長とこうした一大スポーツイベントの開催には、密接な関連があることは確かです。しかし、そこには一大産業となったスポーツビジネスを持続し拡大したい人々の思惑が介在しているのかもしれません。


 このブログ「blog.formula.commons」では、こうしたF1を「ちょっと斜めの角度から見る」ことで見えてくる色々なことを、quzy と原泰史のふたりでお伝えしていこうと考えています。F1が大好きな方にもそうではない方にも、面白い連載にできればと思っています。

 F1は、確かにある面では「終わったコンテンツ」かもしれません。しかし、だからと言ってこの窓を閉じないで!ちょっとモノゴトの見方を変えれば、そこには新しい楽しみ方があるのです。


・最後に、著者二人のラブストーリーを少々

 このブログの著者二人は男性ですが......ちょっと風変わりな(?)二人の経歴を明らかにして、なぜこの二人が「F1を現代社会の鏡」として考えているのか、そしてなぜ「F1をちょっと違った角度から見る」ことに価値を見いだしているのかを、納得していただければと思います。

 その物語は、ちょうど日本発のF1 チーム「スーパーアグリ」が撤退した頃まで遡ります......。

 2008年6月。イギリスに住んでいたQuzy(キュージィ)は、持てあました余暇を動画共有サイト『ニコニコ動画』への投稿に費やすようになっていました。その中で生まれたのが、「エフワンの巣窟 (すくつ)」と名付けられた20分ほどのラジオ番組でした。その番組は幸運にもニコニコ動画にいたF1ファンたちの心を掴むことに成功しました。その後、彼は本業の傍ら、企画・制作から出演、配信まで全てを一人でこなす「ひとりメディア」として活動するようになりました。

 さて、時と場所はかわって、2010年2月のこと。Quzyの「エフワンの巣窟」リスナーだった原 泰史(はら やすし) は、Twitter上にF1に関するある古い情報を書き込みました。それを偶然目にしたQuzyが、彼に「エフワンの巣窟」に投稿することを勧めます。原の本業は東京の外れにあるとある大学の大学院生。普段はイノベーションや経済学の枠組みを用いて技術の研究開発過程を研究している彼は、20年来のF1ファンでもありました。彼は適当にラジオネームを決め、投稿することにしました。それをきっかけに彼は、研究の息抜きに「エフワンの巣窟」にお便りを投稿するようになったのです。

 そしていつの間にかQuzyと原は二人でITmediaが運営する「OneTopi F1」のキュレーターに就任し、「formula.commons」と題されたF1のイベントでも並んで話をするようになっていたのでした。さらにはこうして並んでブログを書いていたりします。

 この二人を結びつけたのは「斜め45度」の視点でした。共に現代社会の現象や成り行きに関心があり、かつ「F1」という共通の話題も有していました。そして何より、日本におけるF1の「終わった」感をひしひしと肌で感じながらも「もっとこういう風にF1を見れば、たくさんの人に面白がってもらえるコンテンツになるのに!」と考えてきました。「斜め45度」を標榜するQuzyが配信する「エフワンの巣窟」の各回の平均リスナー数は1万5000人に達しています。誠ブログに場を借りた「blog.formula.commons」も、そのようなコンテンツになればいいなと考えています。


by blog.formula.commons (Yasushi HARA & Quzy)


※この記事は、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの「表示(BY)」の元で公開されています。あなたは原著者のクレジットを明確にし、典拠を明示することで、自由に記事を利用することができます。

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