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PC WEEK創刊時のこと

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 いつも初音ミクとiPhoneの話しか書かないわたしがなぜITmedia Enterpriseのオルタナティブ・ブログにいるのか不思議に思われる方も多いと思います。

PC WEEK/eWEEKの昔話:25年間にわたるPC革命を振り返る

 そんなわたしにも、もろエンタープライズな時期があったということを、この記事で思い出しました。というか、感傷に浸りながらこの記事の翻訳を選択したのはわたしなんですが。

 PC WEEK日本語版「PC WEEK/JAPAN」は、当時日本初の週刊DTP雑誌としてスタートしました。それが1991年。エンタープライズ編集長の浅井さんとわたしはその立ち上げメンバーだったのです。

 当時の編集長はPCのこと(というか、コンピュータそのもの)がまるでわからない人で、基本的なこと関しては浅井さんとわたし、そしてボストンに駐在している磯貝さんの3人で切り盛りしていました。

 立ち上げ時に配属されてなかにはまったくのド素人である新人2人が。その1人が後にネトランを立ち上げた武本君だったのですが、それをスパルタ式に鍛え上げていったのが浅井さんで、今のネトランは浅井さんのおかげといっていいでしょう(笑)

 それはともかく、わたしはたぶん、Macが使えて英語ができる編集者ということで必要とされていて、記事の翻訳・編集からQuark XPressとAldus FreeHandの2つのアプリを使ってDTPで版下まで作っていくという作業をウィークリーでやっていたのです。

 創刊号のときにはMacintosh IIci(SE/30だったかな)とRadius Pivotディスプレイの前にまる2日間つきっきりで操作して、後ろでは2人の取締役に(逃げないように)見張られていたという、いまでは笑える状態でひたすらQuarkの作業をしていました。

 当時のオフィスは靖国神社の近くで、浅井さんはそこからやってきた白い鳩を、貫徹した朝に追い払うのが日課だったとか、いつまでも家に帰ってこない新人の母親が心配でオフィスに見に来たりとか、そういった雑事を含め、媒体立ち上げに関してあれほど苦労したことはなかったですね。

 イメージセッターのLinotronicの調整はたいへんでしたし、印画紙やフィルムを現像する自現機の酸っぱいにおいの中、ケミカルでシャツを焦がした編集部員もいました。それでも黎明期のDTPに立ち会えたことはその後の大きな糧になったと思います。

 わたしはその後、MacUserを立ち上げるためにPC WEEKを離脱。浅井さんはほぼ一貫してエンタープライズ分野を見てきて、わたしが知らない間にPC WEEKはeWEEKに名を変えていたのでした。

 そのeWEEKと再開するのは、アイティメディアと@ITが合併し、@ITが翻訳してたeWEEKコンテンツをITmedia側でも使うようになったからでした。

 そんな昔話も、ネット時代以前なので、ググっても出てこないんですね。関係者が何も書いてない、というのもあるんだろうけど。

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