自分の史跡をマッピングする
ふと思い立って、自分マップを作ってみることにしました。
きっかけは、きょうが誕生日だというので父親から電話がかかってきたこと。父親から自分が生まれた病院とを教えてもらって、ああ、そういえば知らなかったことに気づいたのです。
いろいろな折りに思い出すこともあるので、そのあたりをまとめておこうと思うのですが、クロニカルにまとめられないものも多く、自分史を作るのもなんだか大層なことのようで。
そこで、自分の想い出の場所というのを、Googleマップにポイントしていくことにしました。Googleマップには、マイマップという機能があり、自分の地図レイヤーを作って、そのポイントをどんどん追加していくことができるのです。非公開にしておけば、どんどん個人的なポイントを増やすことができます。
たとえばこんな感じ。とりあえず幼稚園から中学あたりまでの想い出スポットを入力してみました。けっこう楽しいです。
そのときの電話で、父親からは、1945年8月9日に被爆したときの様子をくわしく聞くことが出来ました。その場所も特定できたので、やはりGoogleマップに「長崎被爆スポット」という地図を追加し、入力しておきました。爆心地からの距離はちょうど1.9km。
このように地図上に場所ごとの状況をマッピングしていき、それが集積されれば、原爆被害の様子が地理的に浮かびあがってくるかもしれません。すでにこういうことをしている人がいるかもしれませんが、とりあえずの一歩としてやってみました。
父親はここで11歳のとき被爆した。家野町の実家から親戚宅に疎開中、ここで被爆。家の外で稲佐山に落下傘を目撃して指さしていたら直後に家(小屋)の中まで吹き飛ばされる。そこで気絶もしくはわけがわからなくなり、弟の泣き声で我に返る。誰か助けに来てくれるかと思ったが誰も来ない。外に出てみたら、瓦が溶けており、ひどい状態。最初は焼夷弾かと思った。しばらくしたら空が曇り、雨が降ってきたので防空壕に入り、1日をそこで過ごした。翌日実家の家野町の丘のほうに上ってみると、町は壊滅していた。実家の前は三菱の兵器工場であり、狙われたのだと思った。
父親がその後、後遺症もなく生き長らえたのは、吹き飛ばされて気絶し、その上からわらがかぶさっていたこと、その後、防空壕に入り、放射能雨を防ぐことができたということがあるように思われます。
そんな偶然から自分が生まれたことに感謝しながら、バースデーケーキが出来上がるのをまっております。