記者としての取材や編集者としての仕事の中から浮かんだふとした疑問やトピックをご紹介。裁判や企業法務、雑誌・書籍を中心としたこれからのメディアを主なテーマに、一歩引いた視点から考えてみたいのですが、まあ、精密でない頭の中をそのままお見せします。

"あえて震災を語らない震災ドラマ・映画"『神戸在住』の強烈なメッセージ

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神戸の独立局サンテレビが、震災20年記念番組として17日20:00からドラマ『神戸在住』を放送する。東京MX2(18日19:00~)など京都、和歌山、岐阜や関東の独立局でも放映され、さらにミヤギテレビでは22日、岩手朝日テレビでは2月7日に放映予定など、東日本大震災の被災地でもネットされる。

同時に「完全版」的な性格を持つ劇場版が、テアトル梅田、シネ・リーブル神戸、ヒューマントラストシネマ渋谷、立誠シネマ(京都)などで公開される。白羽弥仁監督、原作は同名のマンガ(木村紺)である。試写用ディスクを貸してもらって見た。

■「震災を直接語らない」ことで浮かび上がったもの

何が驚いたと言って、震災記念ドラマなのに、被災者が出てこないのである。

「全く出てこない」わけではない。東京から越してきたばかりで神戸の女子大に入学した主人公に語りかける主婦(竹下景子)が、今のきれいな神戸の、過去の姿を語る象徴的な役割を果たす。だが、彼女のストーリーが語られるわけではない。

原作は震災から数年後の神戸を舞台にしているが、今回、脚本家の安田真奈氏(児童虐待の「メカニズム」を、加害者の母親の視点から描いて反響を呼んだNHKドラマ『やさしい花』の脚本、過疎の町の忘れ去られたような電器店が、地域の暮らしを支えている姿を描いた映画『幸福のスイッチ』の脚本・監督)は、あえて時間軸を「現代」にずらし、主人公の女子大生たちを「震災を知らない世代」にしてしまった。そのためにこのドラマは、オリジナルの強いメッセージを発信することに成功している。

阪神・淡路大震災の直後に生まれた主人公の辰木桂(藤本泉)は、人とうまく接することが苦手。父親の転勤で神戸に転居し、女子大の美術科に通うことになった。そこで出会った同級生たちに影響されて心を開くと同時に、「ダメだった自分」を励ましてくれたイラストの作者と出会い、ほのかな恋心を抱くところから精神的成長を始める。だが、明るく見えた神戸の日々のそこかしこに震災の影が隠れていることに気づく。そして事件が......。

主人公・桂の視点で物語は進んでいく。次第に親しくなる同級生3人は、モデル志望でパリに飛び出していく子、コテコテのオバチャン体質など、「神戸そのもの」を体現するような存在として形づくられている(キャストは関西の俳優や本物のモデルである)。お互い気遣い気遣われ、桂が同級生たちと心を通わせるようになる過程が丁寧に描かれるが、それは、よそものが神戸という街になじみ、溶け込む過程と同じだ。視聴者は桂とともに「よそもの」として神戸に入り、自分の心の殻をひとつひとつ外しながら神戸という街に溶け込んでいく過程を追体験できる。

さらにイラストレーターのいるギャラリーには、ろうあの青年(仁科貴。川谷拓三の息子なんだ。うまい)が働いており、桂は最初に貴とコミュニケーションする構造になっているため、そのことが印象的に伝わるのである。

だが、感情の襞をめくっていくと必ず「震災の記憶」に行き当たる。

ここが脚本が巧みな部分で、震災のことは、桂も同級生もすべて「親や人から聞いた話」として意識されている。そのことで、われわれ視聴者の「阪神・淡路大震災ってこんなもの」という思い込みを外すという力業に出ているのだ。感情の波や悲劇性をあえて抑えつづけた脚本・演出が、逆にパラレルで「震災とどう向き合い、何を見るか」を、静かに視聴者につきつけてくるのだ。

■「震災の時代・原発事故の時代」をどう生きるか

作品として『神戸在住』を評価するとき、素晴らしいと手放しで褒められない部分もあると感じる。それでも、この作品はみなさんに強く薦めたい。

私がそう思う理由をお話ししよう。

2011年3月25日、私は福島県郡山に取材のため入った。

もう少し早く行くこともできたが、鉄道が寸断されていた現地はガソリンの供給も途絶え、スタンドには長蛇の車の列ができていた。東京でも入手難が続いており、満タンで出かけ、向こうで迷惑をかけないよう給油せずに活動して帰ってこられる見通しがつくのを待ったからである。

震度6の揺れを記録した郡山では古いビルや木造家屋が倒壊していたが、福島原発から60キロほど離れた郡山では、人びとの生活は表面上、普通であるように見えた。朝になれば砂埃の舞う強い風の中、小学生が列を作り、中・高校生は自転車で登校していく姿も見られた。

だが、「何か変だな」という違和感があった。それがはっきりしたのは、タクシーに乗って運転手さんと会話していたときだ。全然話が噛み合わない。「あっ、この人は上の空なのだ」と気がついた。彼は言った。

「ゆうべ、元知事(佐藤栄佐久氏)がラジオに出て、"俺だったらこう事故対策の指揮を執る"としゃべっていた」。

恐怖感なのだ。放射能は目に見えない。何が起きているかわからない。国も、福島県も、有効な手立てを打っているように見えない。誰か、この状況を打開してほしい――そんな不安感が、郡山の人を押しつぶそうにしているのだ。

これは、静かな「叫び」だ。気持ちを寄り添わせなければ知ることができないし、そこに迫らなければ、取材者として失格なのだ――窓の外の登校風景を見ながら、私は悟った。

その後、実際に何カ所かで、私は同じような体験をすることになったのだ。

ただ、「大丈夫ですか?」と聞くだけなら「大丈夫です」と答えが返ってくるだけ。本当の思いは、相手に寄り添わないとわからないし、伝わって来ない。

神戸は、そういう街であり、また、そういう街でありたい。

震災からよみがえった神戸がこれからも続いていくためには、人びとがゆったりと寄り添っていく関係が作れること、それが震災の記憶を成熟させ、風化させないこと。それが、20年を経た神戸が実践し、発信するべきことだと『神戸在住』の制作者たちは考えているのだと私は思う。そして、まだ問題に取り組んでいる真っ最中でありながら、風化が始まっていることも否めない福島、宮城、岩手でも、そのようなつながりができてこそ、私たちは生きていけるのだ。こういうふうに受け取った。

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