英米でツィッターやフェースブックのマーケティングが社会正義、社会貢献に活用される深い訳
日本と米英のソーシャルメディアマーケティングに大きな違いがあるとすれば、それは社会貢献や社会正義の強調の差でしょう。更に言えばフリーからマイクロ取引やマイクロファイナンス(その発展型がソーシャルレンディング)への移行もこのプロセスで起こり始めています。その底には工業社会から知識社会への本格的な移行、社会規範の見直しがあります。
友達に仮想ギフトを送ると1ドルコカコーラが少年少女クラブに寄付をするプログラム。
参加者も「自分が善行を行った気分になる。同時に社会モラルの教育でもある。
<引用元:マーシャブルおよびフェースブック>
★★ 9 Ways to Do Good With 5 Minutes or $25
★★ 「テレビCMとソーシャルメディアを連結する飲料企業のスーパーボウル広告戦略」
テレビの完全デジタル移行を分岐点に米国では完全にインターネット(ソーシャルメディア)が社会に定着し、いわば電話網のような存在になりました。この移行プロセスがオバマ大統領を生み出した2008年の大統領選挙と重なり合った訳ですね。
テレビの完全デジタル移行(2009年2月から6月)の前後から戦後の工業社会の絆や縁を支えてきたテレビや新聞などのマスメディア、マスコミが衰え始め、替わってインターネット(ソーシャルメディア)が社会の縁や絆を結ぶ新たなメディアであるという認識が急速に広まっています。判り易くいえば英米はインターネット(ソーシャルメディア)による新たな国作り、社会作り=知識社会作りを本気で開始しています。無論、欧州もそれにフォロウを始めています。
キンドルやiPadを持ち出すまでも無く、欧州の方言を標準化してそれぞれの地域で国民国家という想像の共同体(imagined community)を生み出した印刷術=プリントメディアは既に長い衰退期に入っています。(詳しくはメディア論参照)
マスメディアからインターネット(ソーシャルメディア)に転換すると言うことは、当然、それによって支えられる社会の形、国の形が根底から変わります。
工業社会から知識社会への移行過程で生まれる縁や絆の生み直しはインターネット(ソーシャルメディア)によって担われますが、同時に社会的な規範(IT教育、モラル、貧困、エコ、人権など)の社会の底からの見直しが始まっています。社会的な規範見直しの象徴が人種差別の撤廃と黒人大統領の誕生と言う訳ですね。社会的な規範見直し運動には多くの英米のノンプロフィット組織が参加しています。
そしてインターネット(ソーシャルメディア)が生み出す、個が自律した知識社会における新たな社会的正義、社会的規範とは何かを英米は真剣に問い直し始めています。
その影響がマーケティングにも及び始めています。その結果、ペプシコーラは、2010年の30秒が3億円のテレビコマーシャルから撤退して、USTREAMやツイッター、フェースブックなどを駆使してエコや教育、人権、貧困など社会的正義の為のアイデアを出し、実践する人々に毎月幾つかのテーマを選んで「マイクロファイナンス」によりドーネーションを行いました。同じようにコカコーラも「マイクロファイナンス」を行っています。
毎日1ドル以下で暮らしているアフリカの人々がゲームの仮想商品を作れたら彼らは食っていけると言うのでコンピューター教育に力を入れるNPOも出て来ています。衣装や剣がたった100円と言うマイクロ取引は貧困層には、教育の手段であり、生活の糧を得る手段ともなります。いずれ音楽の一曲99セントと言うマイクロ取引や今後出てくると予想される新聞記事1本10セントのマイクロ取引も発展途上国の課題解決とリンクするかもしれません。
だから飲料メーカーだけではなくProcter & Gamble, Citibank and Kraft Foodsなども皆、フィランソロフィー型のマーケティングを無視できなくなっているという訳です。
残念ながら日本のツイッターマーケティングには例えば「シングルマザーの自律を応援しよう」と言った社会貢献型のマーケティングは皆無です。これは一種の人権問題ですね。
でも参議院選挙で試みられる初のインターネット選挙には多少期待する筆者です。
「竜馬伝」によれば坂本竜馬と勝海舟は言ったそうです。「長州も幕府も無い。あるのは日本だ。」と。同じことはオバマさんも言いました。「赤い州(共和党)も青い州(民主党)もない。あるのは一つのUSAである。」と。
これは社会変革の言葉でしょう。さしあたり黒船は当時のソーシャルメディアですね。^^