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英語で考えると馬鹿になる??(単なる回想です)

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そう危惧している留学仲間がいた。「英語を上達したいなら、英語で考えろ!って言うだろう?俺、そうしようとしているんだけど、最近ふと思ったことがあるんだ。俺のこの乏しい英語のボキャブラリーを使って考えたりしたら、馬鹿になるんじゃないかと。日常生活はいいよ、でも、哲学とか、社会科学とか、政治のこととか、英語で考えるには明らかにボキャブラリーが足りない。英語で考えることができる範囲なんて3歳児レベルのことだね。このままアメリカで生活を続けたら俺の教養はどんどん下がっていくかと思うと心配なんだ」

そのコメントを聞いた仲間は、「言われてみりゃそうだよなぁ~、なんだか心配になってきた」派と、「随分と羨ましい(おこがましい)悩みだ。英語で考えることがそもそも出来なくて困っている」派にだいたい別れた。

私はどちらかと言うと後者であったと記憶している。そもそも英語で考えるってどういうことだろう?とぴんと来ていなかった。一旦日本語で考えてそれをいちいち英語に訳してはいなかった。しかしだからと言って、英語で考えているという気持ちには到底なれなかった。

「夢を英語で見るかどうかでわかるよ」と言う人もいたが、私は少なくとも夢は英語で見なかった。そういうと友人は、「えっ、そんなはずないよ!だってあなたのルームメートは英語で話すでしょう?ルームメートの夢を見たことがあるなら、夢の中で英語を話しているはず」と慰めてくれた。

確かにルームメートの夢は見たことがある。しかし、英語で話しているかどうかは全然定かではない。記憶がないのだ。それほど記憶がないのなら、むしろ日本語で話しているのではないかと疑ってしまった。

オチのない話ですみません。
決して英語で考えるなと言っているわけではないのである。むしろ日本語と文の構造が違う英語を話すには、英語で考えるというか、普段日本語を話す回路と違う回路を使うべきだと思う。ただ、最近言葉が出にくくなったり日本語のボキャブラリーの少なさを痛感した時に、ふと甦った記憶なのだ。「あぁ、日本語で考えているにもかかわらず、このままどんどんお馬鹿になっていくのかなぁ・・・」とつぶやいたら、「別に(ボキャ貧もド忘れも)昔からだから大丈夫」と夫に慰められたことがオチということで。

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