No.3 何を隠す匿名ですか?
匿名性の定義を元に、インターネット上の匿名が「何を」隠しているのかを整理します。
■名前を隠す匿名
まず、匿名性の定義を確認しましょう。手元の辞書(大辞泉)によれば、匿名とは「自分の名前を隠して知らせないこと。また、本名を隠してペンネームなどの別名をつかうこと。」と書いてあります。英語でいう匿名、すなわちanonymousの語源は、ギリシア語の「an-(=without)+onymous(=name)」であり、名前がない(=nameless, unnamed)、署名がない(=unsigned)、特徴がない(=unremarkable)、不明な(=unidentified)といった意味で用いられています。
匿名の対義語も考えてみましょう。実はこの言葉はいろいろ出てきます。「名」に着目した「実名(氏名)」という解釈と、氏名に限らず「身元情報」という2つの解釈があります。名を記すから「記名」、名前をあきらかにするから「顕名」という呼び方をすることもあります。対義語が一つに定まらないということは、匿名という言葉がさまざまな解釈をされていることを示しています。
では、匿名でない状態を匿名にする、「匿名化」という視点から考えてみましょう。誰かを「匿名にする」とは、2つの方法があります。一つには、本名とは異なる名を名乗ること。ペンネームや取材記事を想像してください。村上春樹が地下鉄サリン事件の被害者を取材した「アンダーグラウンド」(講談社文庫)では、一部の被害者に本名ではない名前をつけて取材記録を書いていますが、当時の行動や立場、できごとを記述しつつも本名を隠すという匿名化と言えるでしょう。
もう一つには、氏名だけでなく様々な属性(性別、年齢、職業など)を切り離し、その対象を連想させることがない符号を与えることよる匿名化です。社会調査や疫学調査がこれにあたります。たとえば、「A: 女,25歳」「B:男,29歳」といったように。Aだからあ行の氏名、というわけではなく、単なる符号としての「A」「B」が付けられることで、この「25歳女性」「29歳男性」が誰であるかを秘匿しているのです。
■姿を隠す匿名
インターネットが匿名だ、と言われる背景には、ネットを介することで相手の顔が見えない「視覚的匿名」 (visual anonymity)が前提になっています。オンラインコミュニケーション分野では、この視覚的匿名性に基づいた多くの研究がなされています。1990年代には、オンラインゲーム(MUD)における視覚的匿名性と自己意識についてシェリー・タークルが「接続された心―インターネット時代のアイデンティティ」を書いています。ちなみに当時は、自分の画像をアップロードしたり、他人の画像を見るなんてことはほぼ不可能。それだけのマシンパワーも、回線速度もなかったので、テキストコミュニケーションが主流でした。
視覚的匿名性について具体的な事例や概念整理はぜひジョインソン「インターネットにおける行動と心理―バーチャルと現実のはざまで」の一読をおすすめします。この本では、匿名という言葉は通常は相手を識別できない状態を表すけれども、コンピュータを媒介した場合には、むしろ相手のハンドルやメールアドレスで相手を識別できるとして、一般的な匿名性と視覚的な匿名性の違いに着目しています。
これが重要です。つまり、目で見て特定されないゆえに、逆にインターネット上では「自分は誰なのか」を書く傾向があるというのです。情報を受け取る側も、相手が見えないゆえに相手が書いているわずかな情報から、何らかの手がかりを得ようとするというわけです。自分は誰なのかを書いていくことは、実名であれ仮名(ハンドル)であれ、個人の識別性を高めますし、どんな人なのかをむしろ詳細に示します。
■隠れていない?
名前がわからないから大丈夫。顔がわからないから大丈夫という安心が、むしろ自分について詳しく書いてしまうことにつながり、その結果隠していたはずの名前が明らかになってしまう可能性は十分にあり得ます。自分の写真を載せたりするならなおさらのこと。検索エンジンでいったん紐づけられれば、匿名でいたはずなのに‥と思っていても、自分の身元は明らかになる可能性があります。逆にいえば、自分の実名やずっと使っていこうというハンドルがあるならば、情報を積極的に関連付けていって、隠れている部分を失くしていくことも可能でしょう。
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辞書のように繰り返し参照したくなる