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「夢」と「目標」を区別して考えよ

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あなたはどんな「夢」をお持ちだろうか? 今回は、「夢」と「目標」の違いを定義し、現実的な夢の叶え方について考える。

「夢に賭ける」ことは本当に大切か

 先日、文学部系の大学院生の息子を持つ母親からの、「息子が弁護士になりたいという夢を持っておりこれから法科大学院に行きたいという。ついては、学費をどう考えたらいいか」という相談について考える機会があった。

 母親は「せっかく息子が夢を持ったのだから、これを目指すことを止めさせたくない」と言う。奨学金を使うのがいいか、本人が働いてお金を貯めてから法科大学院に行くのがいいか、或いは親から借金をするのがいいか、といった趣旨の相談だった。ちなみに、この母親からこの相談を直接受けたファイナンシャル・プランナーは、「やはり子供の夢を諦めさせるのはしのびない」と言って、条件が有利な奨学金を紹介した(奨学金は、後の返済の負担が社会問題化しているが、それでも普通のローンよりは借り入れ条件がいいものが多い)。

 筆者は、先ず「本人が司法試験に合格する可能性はどれくらいあるのでしょうか? それが非現実的な『夢』に過ぎないのであれば、これを諦めるのがむしろ立派な決断でしょう。しかし、努力によって十分合格の可能性がある『目標』なら、そこではじめて時間とお金のコストと合わせて考える価値があります。それが、夢なのか、目標なのかを先ず区別すべきでしょう」と答えた。

 本稿の主な読者であるエンジニア諸氏にも、夢があろう。専門分野に関する研究についてだけでも、大学院に進学して学位を取りたい、大学で教えるようになりたい、海外の有名誌に論文を書いてアクセプトされたい、といった夢があり得るし、中にはノーベル賞を夢見ておられる方もいるだろう。

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 筆者は、夢の価値を全面的に否定するわけではない。お金や時間といった現実のコストを考える場合には、単なる夢に対してではなく、実現性のある目標に対して考える必要があることを強調したいだけだ。

「夢」と「目標」のちがい

 「夢」と「目標」のちがいを定義しなければなるまい。

 筆者は、「具体的で現実的な時間と努力で達成できる確率が50%以上に達すると考え得る夢」のことを「目標」だと考えている。

 先の法科大学院志望の息子さんについては、「専門家に学力を判定して貰って、2年で50%以上の確率で合格できるという見込みがなければ、そもそもその夢を追うことが不適切です」と答えた。

 率直に言って、法科大学院という制度は文科省と法務省の失敗作であり、司法試験の合格率が低いし、傾向として人気が離散しつつある。そこに2年ないし3年関わって、おそらくは法科大学院の学費以外にも、司法試験予備校の学費を支払い、就職が遅れ、収入を稼ぐのではなく学費を払い続け、吸収力がある20代の貴重な時間を仕事のスキル習得に当てられないことの総合的なコストは、非常に大きい。

 もちろん、夢が叶った場合のリターンの大きさなど、考慮に値する要素はさまざまにあるが、20代中盤からの司法試験狙いの場合、勝率半分以下では問題外だと筆者は考えた。「いったん働いて、時間を見つけて独学してみて、合格の可能性が十分出て来たら、離職して司法試験予備校に行く選択肢を考えてもいい。息子さんには、そう通告するといいでしょう」と筆者は告げた。

 学生でなく、社会人であっても、若者ではなく、中高年であっても、もちろん、男性でも女性でも、基本的な考え方は同じだ。

 夢が真に大切なら、その夢を勝率が半分以上の目標に落とし込む努力をするべきだ、というのが、リアリストであり「人生のファンドマネジャー」(ちなみに、主な運用資産は時間と努力とお金だ)としての筆者の親身のアドバイスだ。

夢と目標を区別するようになったきっかけ

 単なる「夢」と、具体的な努力の手段と見通しを伴った「目標」とを、はっきり区別すべきだと筆者が思うようになったのは、かつてフジテレビの「とくダネ!」という番組に出演していた時に、同番組のキャスターである小倉智昭アナウンサーから聞いた話がきっかけだ。

 小倉氏が高校生時代のある日、彼の父上は、息子に向かって「智昭、夢なんて持っても仕方がないぞ。持つなら、目標を持て」と言ったのだという。これを聞いた当時の智昭少年は、「アナウンサーになる」という目標を持って、その目標を実現したのだ、というのが話のあらましだ。「夢」という具体的な手段を伴わない曖昧な言葉を疑った小倉氏の父上の直観が素晴らしいし、父の話に素直に反応した息子もまた素晴らしい。

夢を言い訳にするな

 目標は、それが大きなものであるか、そう大きくないものであるかによって、当然達成に要する期間が異なる。あまりに長い期間を要する目標の場合、途中でその達成度合いを測ることが出来る中間目標が必要になる。

 例えば、プロ野球の投手で通算200勝を目標とする場合、20年投げ続けられるとして(めったにいないが)年間10勝が必要だし、年齢的な全盛期には、毎年の中間目標を10勝よりも上げることが必要だろう。

 但し、プロ野球選手のような職業の場合、仮に200勝の目標が150勝で終わったのだとしても、目標に向かって注力したことがプラスに働くのだろうから、野球に努力を傾ける以外に有効な選択肢がないので、大きな問題はない(但し、中間目標を設定して努力することは有効だろう)。

 エンジニアも含めて、普通の会社員の方が、多様な選択が可能である分、夢と目標を正確に区別して、目標を目指すことの機会費用を含むリアルなコストに思いを巡らせることが必要だろう。

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 また、目標のつもりで目指してきた状態の実現確率が、時間の経過と共に意に反して低下して、単なる夢になってしまうことが人生にはある。この場合は、目標を現実的なものに設定し直すべきだ。もちろん、逆のケースとして、目標を上方修正してもいい場合もある。こうした場合には、自分の可能性を拡張するためにも、目標の修正を考えていい。

 避けるべきなのは、夢を持っているということにこだわり、夢を言い訳にして不適切な選択を正当化することだ。

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